本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.10.19

オカネとモノの関係性

インフレやデフレは「オカネとモノとの関係性で決定される」と考えているが、このことに関する問題点は、やはり、「過去100年間に、モノとオカネの概念や数量が激変した事態」とも言えるようである。つまり、「100年前の米国では、20ドル金貨30枚と交換に、600ドルのフォードT型という自動車が買えた」と言われているが、その後、「オカネ」と「モノ」の内容が激変したために、現在では、「どのようなオカネが存在し、また、どのようなモノと交換されているのか?」が、ほとんど理解されていないのである。

より具体的には、「1971年のニクソンショック」以降、私が提唱する「信用本位制」が始まり、その結果として、「単なる数字」が主要な通貨となったために、現在の「デジタル通貨ブーム」が訪れているのである。また、この時に、どのような「モノ」が産み出されたかについては、「デリバティブ」を中心にした「金融商品」が指摘できるが、「金融商品」の特性としては、「オカネとモノの二面性が存在する」という点が見て取れるのである。

別の言葉では、「1980年代以降の世界」において、「オカネがオカネを産み出す」というような「マネー大膨張のメカニズム」が働いたわけだが、この理由としては、「オカネ(通貨)そのものがモノ(商品)となり、大膨張の循環メカニズムが働いた」という点が指摘できるのである。そして、結果としては、「1999年以降の日本」に象徴されるように、「ゼロ金利が当たり前の社会の誕生」でもあったが、現在では、「オカネとモノとの関係性に、大きな変化が発生し始めた段階」とも想定されるのである。

つまり、「オカネがあってもモノが買えなくなる時代」のことだが、実際には、「一次産品や二次産品などの実物商品」に対して「大量の紙幣やデジタル通貨」が向かい始めているために、「価格の急騰」が始まっているのである。別の言葉では、今までの「金融商品」が、「デリバティブ」を中心にして、実質上、価値を失い始めた状態となっているために、「デジタル通貨」が「紙幣」に変換され始めるとともに、きわめて小さな「実体経済」に流入を始めたものと考えられるのである。

そして、このことが、古典的な「インフレ(通貨価値の下落)」を意味するが、現在のように「いろいろなオカネとモノとが混在する社会」においては、正しい理解がなされていない状況だと感じている。つまり、「理屈と膏薬はどこにでも付く」という言葉のとおりに、「ほとんどの人が既存の理論に惑わされ、訳が分からなくなっている状況」、すなわち、「正しく分けられていないために、実情が分からない状態」とも言えるようである。