本間宗究(本間裕)のコラム

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2013.10.15

天の母

中国の明代に、「王陽明」という著名な儒学者が存在したが、彼の人生観は、「いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである」ということだったようだ。つまり、「喜怒哀楽が重要だ」と考えていたようだが、この点には、更なる解説や理解が必要なようであり、実際には、「喜び」にも、「人智」という「自分自身の受け止め方」と、「天意」という、「神」や「自分の母親」は、「どのように思うのか?」という、「二つの受け止め方」があるようにも思われるのである。

具体的には、「事業で成功した」とか、あるいは、「会社で地位が上がった」という時には、「ほとんどの人が喜び、浮かれた状態になる」ということが理解できるのだが、かりに、「亡くなった母親が、あの世から、自分の姿を見ると、どのように感じるのだろうか?」を考えると、別の受け止め方も存在するのである。つまり、「長い人生においては、良い事の後に悪いことが起きる」という点を心配しているようにも思われるのだが、反対に、「苦労」や「悩み」などを経験している時には、「自分自身は、大変だ」と感じるのだが、一方で、「天の母親」にとっては、「人間的に成長する時期であり、安心して眺めているのではないか?」とも考えられるのである。

そして、このことを、「現在の日本」に当てはめると、「失われた20年」の後に、「大震災」や「大津波」、あるいは、「原発事故」や「未曽有の国家債務」、そして、「史上最速の少子高齢化時代の到来」など、「人智」で考えると、きわめて危機的な状況にあることが理解できるのだが、「天意」からは、別の考えも存在するようである。つまり、これほどまでの「試練」が、現在の「日本人」に与えられていることには、「大きな意味」が存在する可能性のことである。

具体的には、これからの「大混乱の時期」を乗り越えた時に、「日本人が、今までにないほど、大きく成長しているのではないか?」ということであり、このような観点から言えることは、「現在、我々に必要なことは、現実を直視して、徐々に、問題を解決する」ということでもあるようだ。別の言葉では、「問題の存在」を明らかにしながら、「全員で、解決策を考え、実行する」という態度に変化した時に、本当の意味で「新たな時代」が、幕を開ける可能性のことである。また、このような観点からは、現在の「アメリカのデフォルト騒動」に関して、「決して、この問題は、対岸の火事ではない」と考える人が増えることが重要だと思われるのだが、現時点では、「まだ、きわめて少数派」とも言えるようである。