本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.10.1
「分ける」と「分かる」の関係性
最近、気付かされたことは、「分ける」と「分かる」の関係性であり、実際には、「今まで分からなかったことは、正しく分けていなかったことに、主な原因が存在するのではないか?」ということだった。具体的には、「西洋の唯物論」と「東洋の唯心論」、あるいは、「自然科学」と「社会科学」などが、正しく分けられていなかったために、「何が何だか、訳が分からない状態」となっていたようにも感じられるのである。
別の言葉では、四書五経の一つである「大学」に説かれているように、「物に本末あり、事に終始あり、先後するところを知れば道に近し」という状況のことだが、私自身の問題点は、「時間」と「空間」との分類などができていなかったために、「道」という「真理」への到達が難しかったものと考えている。
つまり、「空間に存在する物質」については、当然のことながら、「神が創った自然物」と「人が作った人工物」とに分類されるわけだが、この時に考えなければいけない点は、「どちらにも、それぞれの思惑が存在するのではないか?」ということである。別の言葉では、「物質ができるためには、創造者の想いが必要な状況」のことだが、このことを、現在の「マネー」で考えると、「根本の信用」が「マネー」を創り出し、現在では、「信用」が消滅しながらも、「表面上の形」だけが、かろうじて存在する状況となっているのである。
より詳しく述べると、現在の「マネーの大膨張」には、歴史的な背景として、「自然科学の発展」、そして、「産業革命」や「資本主義の発展」などの「実体経済の成長」が根底に存在するが、現在では、この点が無視されるとともに、「お金の力」だけが重要視される状況となっているのである。つまり、「お金は無限に存在する」というような「錯覚」が、世界的に広まっている状況であり、このことが、最も象徴的に表れたのが、現在の世界的な「マイナス金利」とも考えられるのである。
別の言葉では、現在ほど、「本末転倒」が極まった状況は、「人類史上、初めての出来事ではないか?」と感じているが、残念ながら、「現代人には、この点が分からなくなっている状況」とも思われるのである。そして、この理由としては、前述のとおりに、「西洋と東洋との価値観」、あるいは、「この世とあの世の違い」などが、正しく分けられていない点が指摘できるものと思われるが、これから想定される「金融の大混乱」、そして、今までの「デリバティブの大膨張」については、人類に対して、このことを気付かせる役割が存在するものと感じている。