本間宗究(本間裕)のコラム
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2020.4.30
一億総玉砕の翼賛体制
今から70数年前の日本では、「一億総玉砕の翼賛体制」が構築されていた。「戦争は、国家の非常事態であり、国民は、国家のために、命を投げ出すべきだ」という思想や雰囲気が、日本全体を支配していたのである。そして、敗戦に向かい、まっしぐらに進んだ状況だったが、現在、不思議に思うことは、「なぜ、論理のすり替えが発生し、この動きを否定できないムードが醸成されたのか?」ということである。
つまり、明治維新以降の日本では、「富国強兵」、そして、「殖産興業」のスローガンのもとに、「日本国民が、他国の侵略や劣悪な経済環境などで、生命が脅かされないこと」が、主要な目的だった。しかし、明治維新から70数年を経た時に、「論理のすり替え」や「事実の隠蔽そして、改ざん」などにより、「軍部の暴走」を許す事態となったのだが、日本国民も、「戦争に負けたら、命がなくなる」という誤解を持ったようにも感じられるのである。
そして、結果としては、「日本の焼け野原状態」となった時に、ようやく、過ちに気づいたものと思われるが、「敗戦から75年目」を迎えた現在、「まったく同様の展開が繰り返されているのではないか?」とも感じている。つまり、戦後の日本では、「経済面の成長」、そして、「裕福な生活」などを目標にしてきたわけだが、今回の「コロナ・ショック」では、いつの間にか、「命を救うためには、お金が必要である」という「論理のすり替え」が発生している状況のようにも思われるのである。
別の言葉では、「お金があれば、命が救える」というような考えのもとに、「国家財政の健全性」が無視された状況のことだが、私自身としては、間もなく、「金融システムの崩壊」、そして「大インフレ」が、世界的に発生するものと考えている。つまり、「目先の窮乏」を救うために、「より甚大な被害」が発生する可能性を危惧しているわけだが、この点については、「コロナ・ショック」の発生と展開が参考になるものと感じている。
具体的には、「無明(むみょう)」という「問題の存在自体が、明らかになっていない段階」が、実は、最も恐ろしいことであり、現在のように、「新型ウイルスの正体が、徐々に見えてきた段階」では、「問題が解決する時期」が近づいているようにも思われるのである。つまり、これから想定される「世界的な大インフレ」については、数か月前の「コロナ・ウイルス」と同様に、「問題を軽視し、実際の被害が発生するまで、ほとんどの人が、存在そのものに気づいていない状況」であり、私自身は、間もなく、「国債価格の暴落」、あるいは、「デリバティブの巨額損失」が発生する可能性を憂慮している。