本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.5.4

最後の古代オリンピック

現在では、「東京オリンピックが忘れられつつある状況」となっているようだが、この点に関して参考になるのが、「最後の古代オリンピック」だと考えている。つまり、「紀元前776年」から始まったといわれる「古代オリンピック」については、「末期の段階」に「腐敗」や「不正」が横行し、「西暦393年に、最後の大会が開催された」とも言われているのである。しかも、その後、「西暦1896年」に開催された「近代オリンピック」まで、「約1500年間の空白期が存在した」という状況だったのである。

そのために、私自身は、長い間、「なぜ、このような展開となったのか?」、あるいは、「オリンピックやスポ-ツには、どのような意味や効果があるのか?」などを考え続けてきたが、現在では、「文明法則史学」と「時空の歪み」で説明がつくものと考えている。つまり、「800年ごとに繰り返す東洋と西洋の時代」において、最も重要なポイントは、「唯心論」と「唯物論」の「違い」であり、「唯物論を基本的な価値観とする西洋の時代」においては、基本的に、「物質面での奪い合い」が多発する状況も想定されるのである。

そのために、「闘争的遊戯」と訳される「スポーツ」が盛んにおこなわれることにより、本当の「戦争」が回避されることを望んだものと思われるが、この点に関する問題は、やはり、「最後の段階で『マネーの大膨張』が発生し、競技者の目的が『お金儲け』に変化した可能性」とも考えられるのである。また、一方では、「西ローマ帝国が、財政赤字とインフレで消滅したために、古代オリンピックの開催が不可能になった可能性」も考えられるようだが、今回の注目点は、「なぜ、文明史学のサイクルよりも、20年以上の遅れが発生したのか?」ということである。

つまり、私自身としては、「西暦2000年前後」に「オリンピックの開催が難しくなるのではないか?」と考えていたが、実際には、「デリバティブ」が産み出した「金融界のブラックホール」により「20年以上もの時空の歪み」が発生した状況だったようにも感じられるのである。

別の言葉では、「マネーの大膨張」が「心の闇」を生み出し、その結果として、「心」が明るくなる「パンとサーカスの生活」を望む人が増えた可能性でもあるが、興味深い点は、このことが、その後、「東洋の唯心論的な価値観」に繋がり、結果として、人々が、全く違った社会生活を送った事実とも言えるのである。