本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.2.27

プラトンと聖アウグスティヌス

今から1600年前に「西ローマ帝国の崩壊」という歴史的な大事件が発生したが、この時に著わされた「聖アウグスティヌス(西暦354年-430年)」の「神の国」を読むと、「西洋の物質文明が、どのようにして崩壊したのか?」が、ある程度、理解できるようにも感じている。具体的には、「ギリシャ神話」や「ギリシャ哲学」などを紐解きながら、歴史的な観点から、「西ローマ帝国崩壊の真因」を探ろうとしているからだが、この点に関して、私が興味を覚えた事実は、「プラトン(紀元前427年-紀元前347年)との類似点」が指摘されていることである。

より詳しく申し上げると、「古代ギリシャ哲学」の特徴として、それまでの「自然哲学」に加えて「道徳哲学」が産み出された点が指摘されているが、このことは、いわゆる「自然科学」だけではなく、「社会科学」が誕生した事実を表している状況のようにも感じている。つまり、「神が創った世界、あるいは、宇宙」において、「人間」という「動物の本能と神の魂を併せ持った存在」が誕生し、その結果として、「新たな文明社会」が形成され始めたものと想定されるのである。

そして、この点については、「真実の神は万物を創り、真理を証明し、浄福を与える」という「プラトンの言葉」が述べられているが、私自身としては、「この言葉に誤りがある可能性」を考えている状況である。つまり、「神は万物を創り、真理だけを与えている状況」でありながら、一方で、「人間が、虚偽の妄想などにより、四苦八苦の世界を作り出している状況」のようにも感じられるのである。

別の言葉では、「人間は精神と身体から成り立っている」、そして、「神と人間性との関係性が、命、霊、精神、そして、身体と時間を分析することにより明らかにされるのではないか?」というように、当時の人々は理解していたのである。つまり、現代人が忘れている「心や魂などの問題」について、「仏教」とは違った形で問うているわけだが、この時の問題点は、やはり、「心の謎」が解けていない事実のようにも感じられるのである。

より具体的には、私自身の「心の仮説」である「動物の肉体に神の魂が入ったことにより、心が誕生した可能性」を考慮すると、さまざまな問題が解けるものと感じている。具体的には、「人間社会が、どのようにして形成され、また、どのようなメカニズムが働いているのか?」という「社会学」や「唯心論」のことだが、今後の学問は、1600年前と同様に、この点が主流になるものと考えている。