本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.4.16
自分の人生と他人の人生
人生の目的は、「成仏」という言葉のとおりに、「誰にでも可能な精神レベルの上昇」にあるものの、この時の手段としては、「地位や名誉、そして、財産」などの「自分の思い通りにいかない人爵」が使用されるものと考えている。つまり、人生には、一種の「二重構造」が存在するものと思われるが、この点を、さらに複雑にするのが、「他人との比較」のようにも感じている。
より詳しく申し上げると、「東洋学」では「自分の人生の9割は、あの世で、すでに設計されている」と理解されており、「この道筋からそれた時に、病気や災難などが発生し、気づきを与えられる」とも言われているのである。つまり、「自分の人生に発生する出来事は、すべてが、自分の精神的な成長のために存在する」と認識されているわけだが、この点に気付かない人々は、どうしても、「なぜ、自分だけが不幸な目に会うのか?」という不満を抱きがちになるのである。
あるいは、「貧富の格差」などが盛んに喧伝される情勢からも明らかなように、現在は、「他人の資産」を羨ましがる風潮も存在する時代でもあるが、この時に考えなければいけない点は、「素行」という言葉のとおりに、「富貴や艱難などを自分で味わい、神様からのメッセージを受け取ること」だと考えている。つまり、「富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行う」という態度が望ましいわけだが、実際には、「貧賤に素して富貴を望む」というように「他人の人生を切望するような態度」を取りがちになるのである。
別の言葉では、「人生の宝物」である「自分の人生、そして、経験」に関して、「他人の人生に目を奪われることにより、時間的な損失を被っている可能性」も考えられるのである。つまり、「人生には、良い時もあれば悪い時もある、そして、それぞれの時から学ぶものがある」という理解により、本当の「自分の人生」を生きることができ、「人生の使命」を全うできるものと考えられるのである。
そして、これから想定される「1600年に一度の大転換期」においては、世界中の人々が、「富貴」から「貧賤」への大変化が発生するものと考えている。具体的には、「西ローマ帝国」の崩壊後に発生した大変化は、「それまでの地動説が天動説に転換した」というように、「物質文明の全面的な否定」であり、私自身としては、このような悲劇が二度と繰り返されないことを望んでいるが、そのために必要不可欠な態度は、「すべての人が、自分の人生を生きること」とも思われるのである。