本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2021.6.20

中沢新一氏のレンマ学を読んで

中沢新一氏の「レンマ学」は、私の人生において、たいへん衝撃的な書だったが、その理由としては、「量子力学」と「言語学」という「まったく新たな境地」に、私自身を導いてくれたからである。しかも、「お金の謎」と「時間のサイクル」、そして、「心の謎」を考え続けてきた結果として、現在では、私自身の「心の仮説」が完成したものと考えているが、今回は、この仮説に関しても、私自身の確信が強まることが可能な状況だったのである。

別の言葉では、「精神世界から人間の世界へ、どのようにして情報が伝わるのか?」、あるいは、「人間は、どのようにして、神の智慧を取得するのか?」に関して、具体的なメカニズムが示された状況のことである。つまり、「巨視的物理学」である「古典的物理学」から「今後の物理学」、すなわち、「量子力学」という「微視的物理学」への移行により、「物質文明」から「精神文明」への道筋が見えてきた可能性である。

ただし、残念な点としては、「肉体」と「精神」の関係性において、「心が、どのような役割を果たしているのか?」が明快ではなく、また、「東洋の数字」とも言える「十干十二支」が理解されていない点である。つまり、明治以前の日本人は、「年、月、そして、日」の表記に「十干十二支」を用いてきたわけだが、この暦の面白い点は、「意味を持つ文字が、同時に数字を表している」という事実である。

より具体的には、「十干」が「物事の本質」や「目に見えない精神」を表し、一方で、「十二支」が「表面上の出来事」や「目に見える現象」を表し、また、それらの組み合わせで、さまざまな「未来の予言」も可能になるのである。つまり、中国の戦国時代に作り上げられた「四柱推命」などは、「年や月、そして、日と時間」の分析により、いろいろな予測が可能な状況だったのである。

そのために、今後の展望としては、「認知言語学」などの発展により「人間が使う言葉が、どのような可能性を秘めているのか?」、そして、「量子力学」の応用により、「仏教が切り開いた神の智慧に辿り着く方法論」などが、深く認識されるものと思われるのである。つまり、現代の「お金(マネー)」が、いかに頼りないものであることに気づかされた人類が、今後、より頼りがいのある「天や神の智慧」に向かい始める可能性のことだが、今回は、この点に関して、実に興味深い事実を教えられるとともに、今までの「私の道筋」に関して、より強い確信を持つことができた状況であり、後は、具体的な方法論を導き出すだけの段階のようにも感じられるのである。