本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.6.22

統計学の盲点

「目に見える事実しか信用しない」というように、「自然科学の信奉者となった現代人」にとって「統計上の数字」は、「科学の正当性を証明する手段の一つ」となっているようである。つまり、「統計に表れた数字を過信する状態」となっており、そのために、「世界の全体像が見えにくくなっている状況」のようにも感じられるが、この理由としては、「インフレ指数が把握する商品が、全体のわずかな部分にすぎず、しかも、操作が行われやすい状況」となっている点が指摘できるものと感じている。

別の言葉では、「金融システムの実情を知られたくない人々」、あるいは、「現在の超低金利状態を維持したい人々」などが、「自分の有利なように、統計数字を操作している可能性」も、いろいろな分野で指摘されているのである。そのために、現在、「世界の全体像」を知るためには、「単なる数字」を信用するだけではなく、「自分の感覚」を総動員させる必要性があるようにも感じられるのである。

より具体的には、「5個のリンゴ」という言葉が「どのような実態を表しているのか?」を改めて考えることでもあるが、実際には、それぞれのリンゴは、決して、同じ数字で説明されるようなものではなく、また、数字で表されることにより、個性が失われる可能性も考えられるのである。別の言葉では、「日本の失業率は約4%である」という説明が表わすように、「現在では、個人が社会の部品となり、その結果として、個人の活力が失われた状況」のようにも思われるが、このことも、「1600年前の西ローマ帝国時代」と同様に、「近代社会で、オリンピックが復活し、活発になった理由」とも言えるようである。

つまり、「西洋の時代」の最終局面においては、必ず、「物質文明」の代表である「マネー」が大膨張し、ピークを付けるわけだが、今回の問題点は、「統計学の悪用などにより、実態が見えなくなっている状況」とも考えられるのである。別の言葉では、「お金の性質」である「大インフレで雲散霧消するまで、通貨の膨張は継続する」という事実が理解されていないために、「デジタル通貨への過度な信用」などが生まれている状況のことである。

そのために、今後の展開としては、「竜宮から戻った浦島太郎が、玉手箱を開けて慌てる状況」、すなわち、「現在のデジタル通貨は、信用本位制の下でしか通用することができなかった」という事実に気付かされる時が到来するものと考えられるのである。ただし、歴史の面白い点は、その時から、本当の「人類の知恵」が活躍し始め、より創造的な時代が始まる可能性とも言えるようである。