本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.7.8

存在の意味

哲学者の「ハイデッガー(1889年-1976年)」によると、「人類は、長い間、存在の意味を追い求めてきた」とのことだが、具体的には、「プラトンやアリストテレスなどのギリシャの哲学者」、そして、近代の「ヘーゲル(1770年-1831年)」などが、「存在の意味への問いを繰り返してきた」とも指摘しているのである。つまり、「なぜ、世の中には、いろいろなものが存在し、また、なぜ、いろいろな事象が発生するのか?」を考え続けてきたものと思われるのである。

別の言葉では、今回の「コロナ・ショック」などのように、「神も仏も存在するのか?」というほどの「悲惨な出来事」に直面した人々が、「歴史をたどりながら、さまざまな現象に対して、いろいろと思索を巡らせた状況」のことである。そして、現在は、「100年ほど前から始まった量子力学の研究」、あるいは、「50年ほど前から始まったデジタル通貨の大膨張」などにより、徐々に、「西洋の唯物論的な社会」から「東洋の唯心論的な社会」への移行が進展しているようにも感じられるのである。

つまり、「ライプニッツの予定調和」のとおりに、「世界の進化と発展」が継続している可能性のことだが、この時の問題点は、やはり、「人知」と「神の智慧」との違いとも言えるようである。別の言葉では、「人知の浅はかさ」により「神の真意」が理解できない可能性のことでもあるが、その結果として、「人々は、往々にして、絶望的な状態に陥る場面に遭遇する事態」が発生する可能性である。

ただし、この点については、「投資の基本」と似通った状況でもあり、実際には、「いろいろ銘柄が、なぜ、上がったり下がったりするのか?」、あるいは、「今後、どのような業種が成長し、また、どのような業種が衰退するのか?」などを考えることであるが、別の言葉では、「国家の興亡」も含めて、「歴史や時間のサイクル」を研究し、「根底に存在する神の思惑」を推理することである。

そして、このような観点から言えることは、これから800年間も継続が予想される「新アジア文明」に関して、「量子力学と言語学などの応用により、異次元の発展を見せる可能性」である。つまり、既存の「科学的な常識」が崩され、また、「貨幣価値の激減」などにより、「世界中の人々が、真剣に、存在の意味を考え始める可能性」でもあるが、この時の問題点は、「悲母観音」が象徴しているように、「人類の成長のためには、厳しい経験も必要である」という事実とも言えるようである。