本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.8.17
西洋哲学の認識論
「古代ギリシャ哲学」や「デカルトから始まった西洋近代哲学」を研究すると、「認識のメカニズム」に関する問題提起が頻出するものの、「いまだに、答えが出ていない状況」とも言えるようである。つまり、「認」と「識」との「違い」が理解できていないために、さまざまな解釈が行われている状況のことだが、この点を、東洋学の観点から分析すると、より深い理解が得られるものと感じている。
具体的には、「肉体」と「精神」との関係性であり、また、私自身の「心の仮説」を理解することでもあるが、実際には、「肉体」や「肉眼」が把握するのが「認」という「現象面での理解」とも想定されるのである。そして、「識」については、「心眼」を通じて、「精神」が把握する「物事の本質」とも思われるが、この時に重要な点は「心の理解」であり、実際には、「心」が「人間だけが持っているもの」であり、また、「時空を超えて、世界の把握が可能な状況」という理解のことである。
より具体的には、「大自然界」のみならず、「法界(ほっかい)」にまで、「心」は、行き来が可能なものと思われるが、この時の問題点は、「肉眼による理解」と「心眼による理解」とに大きな違いが存在する事態である。つまり、現在の物理学からも理解できるように、100年ほど前までは、「マクロの物理学」という「目に見える現象」だけに囚われていたものの、その後、「ミクロの物理学」が始まったことにより、「目に見えない世界で、説明できない現象が数多く噴出し始めてきた状況」となっているのである。
別の言葉では、現在、自然科学においても、「認」と「識」との違いが理解され始めたものと思われるが、この時に必要なことは、「西洋哲学の弁証法」、すなわち、「数多くの失敗を繰り返しながらも、徐々に、真理に近づいていく方法」を理解することであり、また、このことが「仏教の悟り」と同様の意味を持っていることを考慮することである。
つまり、洋の東西を問わず、人類は、真理の追求を続けてきたものと考えられるが、現在は、「10段階の精神レベル」において、「人類は、4から5のレベルに上昇を始めた段階ではないか?」とも感じられるのである。より具体的には、20世紀最大の歴史学者と言われる「トインビー」が教える「チャレンジ(試練)とレスポンス(対応)」のとおりに、「人類は、着実に、より良い世界に向かっている状況」とも思われるが、現時点では、残念ながら、今回の「コロナ」や「自然災害」に対する反応からも明らかなように、いまだに、大きな「認」と「識」の違いが存在する状況とも思われるのである。