本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.11.12

奪い合いから分かち合いへの大転換

西暦1200年から2000年までの「西洋の時代」においては、最初に、「資源や領土」などの「目に見える物質」に始まり、最終局面では「究極の物質」とも言える「お金(マネー)」の奪い合いが行われてきたものと考えている。そして、「人爵」である「地位や名誉」については、「お金を持っている人が、最も重要な位置を占める人」という認識が広がったものと思われるが、今後の展開としては、「お金の価値」の急速な減少により、「天爵」という「精神的な高貴さ」を求める人が増え始めるものと感じている。

別の言葉では、「文明法則史学」が教える「東西文明の大転換」であり、実際には、「奪い合い」が根本理念である「西洋文明」から、「分かち合い」が重要視される「東洋文明」への移行である。そして、この要因としては、現代人が追い求めてきた「お金(マネー)」に関して、間もなく、劇的な大変化が発生する状況が想定されるが、実際には、「浦島太郎の玉手箱」のように、現代の「デジタル通貨」が、ほぼ瞬間的に雲散霧消する可能性である。

つまり、現在の「目に見えないデジタル通貨」が「目に見える紙幣」に交換され、この時に、世界中の人々が、「お金の本質」に気付く事態のことであり、より具体的には、「お金は発散過程に入るまで、大膨張を続ける性質が存在する」というものである。そして、この時に重要な意味を持つのが、「お金が、どのような商品と交換可能なのか?」ということであり、今までは、「デリバティブなどの金融商品とデジタル通貨が交換されることにより、交換価値の問題が無視されてきた状況」だったのである。

しかし、現在では、「お金を持っていても、交換できる商品が少なくなってきた状況」、すなわち、「実物資産を買おうと思っても、天候異変などによりさまざまな供給制約が発生している事態」とも言えるのである。つまり、「1971年のニクソンショック」から始まった、私が提唱する「信用本位制の時代」が終焉の時を迎え、「お金が、本来の性質を取り戻そうとしている段階」とも考えられるのである。

別の言葉では、「この世には、お金で買えないものがある」という厳然たる事実に気付かされた人々が、急速に、「お金の謎」だけではなく、「心の問題」を追求し始めた状況のようにも感じている。つまり、「分かち合いの時代」の始まりであり、実際には、「物質を保有することにより生まれる満足感」ではなく、「精神的な成長が実感できる満足感」、あるいは、「人々から喜ばれる充実感」などを求める人々が増える状況のことでもあるが、現在、世界の流れは、着実に、この方向に向かい始めているようにも感じている。