本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.2.11

貫いた挑戦と報われない努力

「オリンピックの熱狂」については、誰も否定できない事実であり、実際のところ、今回も、「羽生結弦選手の言動」については、大きな感動を味わった状況でもあった。そして、特に気になった言葉は、「貫いた挑戦と報われない努力」だったが、実際には、「より深い意味が隠されているのではないか?」と感じたのも、間違いのない事実だった。つまり、「羽生選手には特別の才能があり、また、人一倍の努力も行われた」ということには、誰も否定できない状況とも思われるが、この時に感じたことは、「誰もが同じ状況ではないか?」ということだったのである。

具体的には、「羽生選手のスケート」と同様に、「全ての人々に、それぞれの才能が備わっている可能性」であり、実際のところ、「好きなことを努力することは、楽しく、しかも、 楽なことではないか?」とも思われたのである。つまり、「好きなことに熱中しているときが、人生で、最も充実している時期」であり、また、「春に花が開き、秋に実が結ぶ」という言葉のように、「それぞれの人生には、それぞれの充実期やドラマが存在するのではないか?」とも感じられたのである。

しかも、今回は、「オリンピックの意味」ついても、改めて考えさせられた状況でもあったが、この理由としては、ご存じのとおりに、「ドーピングや失格などの事件が多発した事実」が指摘できるようである。つまり、「1600年ほど前の古代オリンピック」と同様に、「世界中の人々が、オリンピックの存在を見直し始めた可能性」のことでもあるが、実際には、「コロナに感染する危険性」と「オリンピックの熱狂」などに関して、冷静な判断を始めた状況のようにも思われるのである。

そして、この点に関して、より注目すべき事実は、やはり、文明法則史学が教えるとおりに、「財政赤字とインフレで滅んだ西ローマ帝国が、現在の世界情勢に酷似している可能性」である。つまり、当時の「グラディエーター」などと呼ばれた人々は、「その後、あっという間に存在感が失われた」という状況でもあったが、この理由としては、「人々の価値観が激変した事実」が指摘できるものと感じている。

より具体的には、「人間の可能性や才能開発」に関して、「肉体から精神への転換」が発生したものと思われるが、実際には、「東洋の時代」が始まるとともに、「仏教」などの研究が、盛んに行われ始めた状況のことだが、このことは、現在の「量子力学」などの「ミクロの物理学」に当てはまるものと感じている。