本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.9.24

宗教への聖なる献金

9月20日に開かれた「旧統一教会による3度目の記者会見」では、「テッシー」と呼ばれた「勅使河原氏」が、「宗教への聖なる献金」という表現を使い、「宗教組織への献金は、我々にとって、重要な行為である」というようなコメントを述べていた。しかし、このことは、キリスト教本来の「教え」である「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」という言葉に反した状況だったようにも感じられた次第である。

より詳しく申し上げると、「文明法則史学」が指摘する「東洋と西洋の文明が800年ごとに交代する事実」からも明らかなように、「西洋文明は富の時代」であり、また、「東洋文明は神の時代」とも考えられるのである。つまり、現在は、「お金が神様となった時代」であり、本来の「神様」については、「神は死んだ」という「ニーチェ」の言葉のとおりに、ほとんど忘れ去られた状況となっているものと想定されるのである。

そして、結果としては、「宗教組織を維持するための献金」が、今回のコメントのように、「人生において、もっとも大切なことの一つである」というような解釈がなされたわけだが、この点については、「実際の信仰とはかけ離れた状況」のようにも感じている。つまり、本当の信仰とは、「弘法大師」が主張するように、「国法よりも仏法に従うこと」であり、実際のところ、「当時の弘法大師は、仏法に従うために、国法を犯して、大学を中退し、また、留学を途中で終えた」という状況だったのである。

ただし、このことは、「国法を、常に、軽視してもよい」ということではなく、「やむにやまない状況下で、おのれの心に従った」という事態だったものと想定されるが、今回の「旧統一教会への高額献金」については、実質的な「犯罪」のようにも感じられるのである。つまり、「美辞麗句を並び立てて、あるいは、恐怖心などにより、人々に対して、宗教的な教えとは違った行動を取らせる事態」のことである。

そのために、今後の展開としては、「旧統一教会」に対して、「さまざまな罰」が与えられる状況を想定しているが、実際には、「国法」だけではなく、「仏法」という「天や神の思惑」に反する行為がもたらす「不都合な事態」である。より詳しく申し上げると、「多くの人々に恐怖心を植え付けながら、金銭的な被害を与えた状況」に関して、今後、多くの反動が発生する可能性のことだが、実際には、「世界中に真実が知れ渡った結果として、宗教組織そのものが存続不能になる可能性」であり、また、「宗教組織の内部から、多くの信者が離反を始める可能性」とも考えている。