本間宗究(本間裕)のコラム
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2022.10.5
自然科学と社会科学との違い
100年ほど前に著わされた「シュペングラーの西洋の没落」では、「ギリシャ・ローマの数学」と「現代西洋の数学」との違いが挙げられており、私自身としては、「マクロ物理学からミクロ物理学への移行」に関して、「数学における進化」が、大きな意味を持っていたようにも感じている。つまり、現在の「量子力学」などが発見される以前に、「西洋の没落」という著書が完成しているために、「過去100年間に、どのような変化が発生したのか?」を考える上で、この著書が、大いに役立つものと思われるのである。
そして、この点に関して、たいへん気になったポイントが、「自然科学と社会科学との違い」でもあるが、「シュペングラー」にとっては、「この違いが、よく理解できていなかったのではないか?」とも感じている。つまり、「138億年前の宇宙誕生」や「46億年前の地球誕生」を踏まえて、その後、「大自然界の生成発展」、あるいは、「人間社会の進化」に繋がっている状況のことだが、この点について、私自身は、「社会科学の発展に、大自然の摂理を歪める力が存在するのではないか?」とも感じている。
より詳しく申し上げると、「人間社会の特徴」として、私自身は、「文字の利用により、知識の集積が可能になった事実」であり、また、「貨幣の発明により、実体経済の発展が容易になった事実」が指摘できるものと考えている。つまり、「蟻」や「蜂」なども、人間と同様に、「分業化による共同作業」を行うものの、「文字や貨幣の欠如により、大自然の摂理を歪めるほどの影響力を持っていない状況」のようにも思われるのである。
ところが、一方で、「人類の影響力」については、現在の「地球温暖化がもたらす異常気象」、あるいは、「核戦争の勃発がもたらす地球環境の崩壊危機」などのように、「人類の存在」そのものが危ぶまれるような状況とも言えるのである。別の言葉では、「自然科学の進歩」に追いつかない「社会科学の進歩」の結果として、「誤った形で、技術進化が利用されている状況」のことである。
そのために、現時点で必要とされることは、「西洋文明の特徴」として挙げられる「数字や数霊(カズタマ)による世界の理解」だけではなく、「言語や言霊(コトダマ)による世界の理解」のようにも感じている。つまり、「量子のもつれ」が意味する「テレパシーのような状況」に関して、「天の智慧」と「人間の知識」が、簡単につながる可能性のことでもあるが、この点については、実際のところ、「1200年ほど前に、弘法大師空海が発見していた可能性」が指摘できるものと考えている。