本間宗究(本間裕)のコラム
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2022.12.6
防衛費増額を巡る不毛な議論
現在の国会では、「防衛費の増額は不可欠である」という議論が中心となっており、「反対意見を述べるものは非国民である」とみなされるような雰囲気とも言えるようだが、このような状況下で必要なことは、やはり、「誰のために、何を防衛するのか?」を根本から考え直すことだと感じている。つまり、「国民の命と財産を侵略者から守る」ということが「防衛の基本認識」とも思われるが、この点について、歴史を振り返ると、「帝国主義の正当性」については、すでに完全否定された状況とも言えるのである。
別の言葉では、「武力や資本力を行使して、他国を植民地化する」というような行為については、現在、「世界的に否定されている状況」であり、また、「地球環境の温暖化」が意味することは、「人類そのものが、地球での存在が許されなくなる可能性」とも想定されるのである。つまり、現在、必要とされることは、「防衛費の増額」ではなく、「地球温暖化への適応に要する費用の増額」とも感じているが、この点に関して、より重要なポイントは、「国民の財産が、何を意味するのか?」だと考えている。
より詳しく申し上げると、「論語」で示されているように、「軍事力と食料、そして、信」の関係性については、「軍事力よりも食料の方が大切であり、また、より重要なものは人々の信頼感である」と述べられているのである。つまり、「信」については、「他人が信用できなくなれば、お互いの命にまで関わる重要問題」であり、また、「お金の根本」とも言える「信用」が失われれば、「財産」そのものが雲散霧消する可能性も想定されるのである。
そのために、現時点で必要なことは、「国家間のみならず、人々の間における信用の回復」とも思われるが、この点に関して重要なポイントは、やはり、「カール・ポランニー」が指摘する「悪魔のひき臼」、すなわち、大量に創り出された「お金」の存在が、「人間関係を引き裂いてきた状況」のようにも感じている。つまり、「西洋の唯物論」がもたらす「奪い合いの時代」の末期においては、「他人の命を奪ってでも、自分の利益を確保する行動」が発生する状況となっているのである。
別の言葉では、現在の「防衛費の増額議論」が、かつての「帝国主義」と同様の状況のようにも思われるが、この時の問題点は、「国債の増発が国家の信用崩壊に繋がるとともに、国民の財産と生命の危機が高まる可能性」であり、また、「時代錯誤、かつ、本末転倒の議論である可能性」が指摘できるものと感じている。