本間宗究(本間裕)のコラム

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2023.8.10

現代人のFOMO

海外では、最近、「FOMO(取り残されることへの恐れ)」という言葉が使われ始めているが、このことは、ウィキペディアで指摘されているように、「近年に現われ増えつつあるソーシャルメディア中毒に起因する言葉」と理解されているようである。つまり、「自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれない」という不安や「大きなニュースを見逃しているのではないか」と気になって落ち着かない状態を指す「見逃しの恐怖」とも認識されているのである。

あるいは、「社会的関係がもたらすこの不安は、他人がやっている事と絶え間なく繋がっていたい欲求である」とも理解されているようだが、この点については、「三次元の社会科学」がもたらす「典型的な苦悩」とも言えるようである。つまり、「目に見えるもの」だけを信じ、また、「自分の利益」を主眼とした行動を取りがちになる結果として、「目に見えないもの」や「他人の心理」などの理解が難しくなった状況のことである。

別の言葉では、「グローバル共同体」の一員となった結果として、「世界全体の動き」までをも注視せざるを得なくなったわけだが、このことは、「忙」という文字が示すように、「人々の心を失わせる結果」に繋がった状況とも考えられるのである。あるいは、「肉体」や「物質」などに対する「過剰な執着」を産み出したことにより、「心の柔軟性」、すなわち、「心と精神とのバランスが失われた可能性」も想定されるが、今後の注目点は、やはり、「FOMOの内容変化」とも言えるようである。

具体的には、「西洋文明の象徴」とも言える「お金(マネー)」の段階的な消滅により、「恐怖心の質が変化する可能性」のことでもあるが、この点については、「800年ほど前の日本」が参考になるものと感じている。つまり、当時の人々は、現代人とは反対に、「目に見えないもの」を信じ、また、「他人の利益」を主眼とする行動に励みながら、「現世よりも来世に期待して、寺社仏閣の建立に励んだ」という状況だったのである。

このように、歴史を遡ると、「人々の意識と行動が、私の『心の座標軸』のとおりに動いている状況」のようにも感じているが、今後の注目点としては、やはり、「量子力学」や「分子生物学」などが指摘するとおりに、「目に見えない世界」そのものが、より深く理解される可能性とも言えるようである。あるいは、「人類の意識と行動」が、大きく変化し、「戦争やいがみ合いなどの不合理性」が理解されるとともに、「人類が、力を合わせて、地球と共生する方法」を模索し始める可能性とも想定されるのである。