本間宗究(本間裕)のコラム

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2012.7.17

行動を始めた日本人

現在の日本では、「数万人規模の抗議デモ」が、頻繁に行われるようになったが、このことは、きわめて大きな意味を持っているようだ。つまり、今までのような「物言わぬ日本人」が、いろいろな面で限界点に達し、実際の抗議行動を始めたからだが、この理由としては、「信用できない政治家や官僚に対して、国民が疑いの目を持つとともに、本当の意味での改革を実行しようとしている」という状況が考えられるからである。

そして、今後は、この動きが、より過激なものになる可能性があるようだが、基本的には、「世界で最も裕福である」と言われた「日本人」が、現在では、「日々の生活に困窮し始めるとともに、放射能汚染により、安全に暮らせないような環境に住まわされている」という点が指摘できるようである。つまり、「お上に任せておけば、間違いがなかった」というような「高度成長時代」とは違い、現在では、「黙っていたら、政府や官僚の勝手な行動により、自分たちの生活ができなくなってしまう」というような危機感を抱き始めた可能性が存在するのである。

また、この時に、最も重要な点は、「金の切れ目が、縁の切れ目」という言葉のとおりに、「政府や官僚が、国民の生活を犠牲にしてまで、国家財政問題に対処し始めた」ということが挙げられるようである。つまり、「消費税率を上げなければ、日本がダメになる」というような意見を述べて、消費税の増税法案に突っ走っているのだが、実際には、「消費税率を上げようとも、国家の財政問題は解決せず、単なる時間稼ぎにすぎない」ということが、多くの人に明らかになり始めているのである。

しかも、「約15年間」という、歴史上からも異例な「ゼロ金利政策」により、「国民には金利を支払わず、その資金で、国家や銀行などを救済してきた」という事実も、はっきりと理解され始めているのである。つまり、「何のために、ゼロ金利政策が実施されてきたのか?」ということや、あるいは、「誰のために、消費税率が引き上げられるのか?」という点を、多くの人が問題視し始めたということである。

そして、この時に気になるのが、やはり、「江戸時代の日本人」のことであり、実際には、「限界点に達した時に、思わぬほどの抗議行動に出る」ということである。具体的には、「おかげ参り」や「ええじゃないか」というような、「国民の一割が、お伊勢参りに出かけながら、破壊行動を行った」ということであり、しかも、「この動きは、突如として発生した」ということも、歴史からは、はっきりと読み取れるのである。