本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2013.7.16

アマテラス

先日、「坂東玉三郎」と「鼓童」が共演した「アマテラス」を鑑賞してきたが、内容的には、日本人の誰もがご存じの「天の岩戸開き」の話だった。しかし、舞台の素晴らしさに感銘を受けただけではなく、いろいろな「想い」が、私の胸に去来したのだが、実は、「鼓童の公演」を観るのは、生まれて初めてのことであり、この点に、不思議な感じを抱いたのである。つまり、「鼓童」の前身とも言える「鬼太鼓座(おんでこざ)」が誕生したのが、今から42年前の「1971年」であり、「私が生まれた町に、突如として、若者の集団が集まってきた」という状況だったのである。

そして、当時は、「なぜ、多くの若者が、太鼓をたたくことに、人生をかけるのか?」という感想を抱きながら、ある種の「冷たい眼」で、彼らを眺めていたような気がするのだが、その後の「42年間」を振り返った時に、今回の「アマテラス」には、たいへん大きな意味が存在するのではないかと感じた次第である。具体的には、「1971年から現在まで」という期間は、「表面上の経済繁栄」は実現されたものの、「人々の精神面」においては、「暗黒の時代だったのではないか?」ということである。

つまり、「スサノオ」が意味することは、「マネーの大膨張」であり、多くの人が、経済的な成功を求めたのが、この期間だったものと考えているのだが、結果として起きたことは、「自然破壊」であり、また、「多くの人々が、大きな不安や恐怖心を抱く社会の誕生」でもあったのである。そして、この間に、「伝統」や「文化」を追い求め、一種の「時代遅れ」だった「鼓童」が、いつの間にか、世界的に認められるほどの存在となり、多くの人々に感動を届けるほどの集団になったことにも、たいへん不思議な思いを抱いたのである。

このように、「世の中で起きることには、偶然はなく、全てのことに、大きな意味がある」と、改めて、感じさせられたのが、今回の「アマテラス」だったが、かりに、現在が、「スサノオが大暴れする暗黒の時代」の終焉の時期であり、再び、「天の岩戸開き」が起きるとすると、この時の必要条件は、「現代のお金」に対して、「世界中の人々が、大きな不信感を抱くこと」でもあるようだ。

具体的には、すでに、いろいろな「崩壊の兆候」が見え始めた「デリバティブ」や「国債市場」において、何らかの大事件が起きた時に、人々が求め始めるのが、「42年前の鬼太鼓座の若者たち」と同様に、「伝統」や「文化」、あるいは、「歴史的な遺産」であり、また、かつてのような「人々が助け合う社会の復活」でもあるようだ。