本間宗究(本間裕)のコラム

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2013.7.25

庚申伝説

昔から気になっていたことの一つに「庚申塚」があるが、このことは、かつて日本で盛んに信仰されていた「庚申伝説」に由来するようである。具体的には、「人間には三尸(さんし)と呼ばれる虫が頭・腹・足にいて、その人の悪行を監視している」というものであり、「庚申の夜、宿主の人間が眠ると三尸はこっそり体を抜け出し天帝に宿主の悪行を報告する」と信じられていたのである。

また、「この三尸の報告を受けた天帝(閻魔)は、その内容を評定して、悪行を行った人の寿命を縮める」とも考えられていたために、当時の人々は、「二か月に一度の庚申の夜は、村中の人達が集まって神々を祀り、寝ずに夜を明かした」とも伝えられているのである。また、このことが「庚申待」であり、「庚申待を3年、18回続けた記念に建立されたのが、全国各地に残っている庚申塔や庚申塚」だそうである。

このように、昔の日本人は、現在では、信じられない行動を取っていたのだが、このことにも、大きな意味が存在したようだ。つまり、「社会のチェック機能」として、このような信仰が、長い間、継続していたものと思われるが、現在では、「天」や「神」を畏れる人が少なくなった結果として、いつの間にか、「庚申伝説」が消滅したようである。別の言葉では、「お金」が、現代人の「神様」となり、「お金さえ持っていれば安全だ」と考える人が増えたのだが、このような結果として生まれたのが、実は、「安心して生活できないような社会」だったのである。

つまり、現在、多発する「信じられないような事件」については、「天や神を畏敬する精神」が忘れ去られ、「法に触れない限り、どのような手段を用いても、お金儲けをすることが正義である」と考える人が増えたことに、根本的な原因が存在するものと考えている。別の言葉では、旧約聖書に出てくる「ソドムとゴモラ」のような都市が、世界中に造られたということだが、「このような状態を、100年後の人たちがどう見るか?」については、今後の進展を見守る必要性があるようだ。

つまり、現在、我々が、「庚申伝説」について「あまりにも非合理的である」と考えるのと同様に、「地球環境」や「人々の生命」よりも、「単なる数字」となった「現代のお金」を信用する「現代人」については、「理解不可能である」と考えられる可能性があるのだが、同時に、「三尸(さんし)の虫」を畏れ、「閻魔大王」を信じた人々の方が、精神的に健全だったと判断される可能性もあるようだ。