本間宗究(本間裕)のコラム

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2014.1.7

盥(たらい)の水

「二宮尊徳先生」に「盥の水」という言葉があるが、このことは、「水を自分の方に引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうけれど、相手の方にあげようと押しやれば自分のほうに戻ってくる」というものである。そして、この考え方は、「人生」のみならず、「投資」にも応用が利くものと考えているが、現在では、ほとんどの人が、「自分の欲望」だけを考え、知らないうちに、「盥の水を、自分の方に引き寄せようとしている状況」とも言えるようである。

別の言葉では、「あいだみつを氏」の「奪い合えば足りず、分け合えば余る」という言葉のとおりに、「お金の奪い合い」が、世界的に起きているものと考えているが、この時に考えなければいけない点は、やはり、「お金の性質」でもあるようだ。つまり、目に見えない「信用」を形にしたものが「お金」であり、また、人々の「欲望」が多くなった時に、「お金の残高」が膨張するということである。

より具体的には、「1800年頃」から始まったと言われる「資本主義」というのは、「資本」という「お金」が、「主義」という「最も大切なもの」になった時代のことを意味するのである。そして、現在では、誰もが、「お金が無ければ生きていけない」と錯覚するほどに、「お金に縛られた時代」でもあるのだが、問題は、「人々が知らないうちに、世界のお金は、一握りの人々によってコントロールされていた」ということである。

つまり、現在、世界に存在すると言われている「約10京円の金融資産」は、ほとんどが、「政府」や「メガバンク」が保有するものであり、「個人」や「民間企業」が保有する「金融資産」は、いつの間にか、相対的な力を失ってしまったのである。別の言葉では、「フィアットマネー」と呼ばれる「政府の信用を基にした、紙幣や預金、あるいは、国債やデリバティブなどの金融商品」が大膨張した結果として、本来の「お金」である「貴金属」、そして、「実体経済」を代表する「株式」などの「時価総額」は、全体の金額と比較すると、たいへん小さなものとなってしまったのである。

そのために、このような状況下で必要なことは、多くの人が求める「預金」や「国債」、あるいは、「値上がりした株式」などは、「欲しい人にあげる」という態度だと考えている。具体的には、「必要以上の預金は、貴金属や株式などの実物資産に交換する」ということであり、また、「人気化した銘柄は売却し、不人気な割安株に交換する」ということだが、実際には、「値上がりした人気株」に、多くの人の興味が向きがちなようである。