本間宗究(本間裕)のコラム
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2014.5.7
恐怖政治の末路
以前より、「古代ローマ時代のカエサル(紀元前100年―紀元前44年)」と「戦国時代の織田信長(西暦1534年―西暦1582年)」には、一種の「共通点」があるものと考えていたが、それは、「独裁者であり、また、部下により暗殺された」という事実のことである。別の言葉では、「ブルータスよ、お前もか?」という言葉のとおりに、「最後に、最愛の部下によって暗殺されたカエサル」と、「部下である石田光成の反乱により、本能寺の変によって亡くなった織田信長」が、「どのような理由で、似たような運命をたどったのか?」という点が、長い間、気にかかっていたのである。
そして、この点については、現在の「軍師 官兵衛」を見ることにより、ある程度の理解ができたようにも感じているのだが、実際には、「強権政治の末路」とでも呼ぶべき状況となり、最後には、「部下の恐怖心が、反乱を引き起こした」という点が指摘できるようである。つまり、「天下布武」を標榜し、「力により、天下を統一しようとした織田信長」に対して、「あまりにも激しい性格に、部下が付いていけなくなった可能性」のことである。
別の言葉では、「失敗したら、自分も成敗される」という恐怖心により、部下の「荒木村重」や「明智光秀」が反乱を起こしたようだが、実際には、「組織の分裂と対立」が起きたことが理解できるようである。また、その後を引き継いだ「豊臣秀吉」は、「百姓から天下人へ」と言われるように、「織田信長の遺志を継ぎ、天下統一を果たした」という状況でもあったのだが、この時も、やはり、「独裁者の末路」と呼ぶべき状況だったようである。
つまり、「絶対的な権力者」となった「豊臣秀吉」は、「スターリン」などと同様に、「力を持った部下の粛清」を始めたのだが、この結果として起きたことは、「豊臣軍団における結束力の低下」だった。その結果として、「関ヶ原の決戦」で、「徳川家康の東軍」に大敗を喫し、その後、「大坂の陣」により、「豊臣家の滅亡」へと繋がったのだが、このことは、「恐怖政治」の危険性を物語っているようにも感じられるのである。
そして、現在に生きる我々としては、「現在の世界においても、形を変えた恐怖政治が存在するのではないか?」という意識を持つことが大切だと考えている。つまり、「北朝鮮」の例だけではなく、「絶対的な権力」を持ち、現代の「神様」となった「お金」に対しての「恐怖心」であり、実際には、「お金が無ければ生きていけない」と考える人々が、「お金の本質」を知った時に、「裏切られた」というような「思い」を持つことだが、最近では、徐々に、この点を理解する人が増えているようである。