本間宗究(本間裕)のコラム

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2014.6.26

ガラパゴス化した経済理論

現在では、「ガラ携」という言葉が日常用語となり、「スマホ」を持っていないと恥ずかしい雰囲気にもなっているようである。そして、この点からも、人々の「好奇心」や「羞恥心」などが、「新商品」の販売に関して、大きな促進効果を持つことが理解できるのだが、このような「ガラパゴス化」については、「携帯電話」のみならず、さまざまな「商品」や「分野」で発生しているようである。

具体的には、「技術やアイデアなどの陳腐化」であり、実際には、「世の中の流れ」についていけず、「自分勝手な思い込みで、複雑な理屈を付ける状況」が、結果として、「商品の魅力」を失わせてしまったものと考えている。別の言葉では、「ガラパゴス諸島」という「狭い島」の中で、「それぞれの生き物」が、環境に適応しようと、必死に努力したことが理解できるのだが、結果として、他の世界と、全く違った「発展」をしたために、「外部環境」に変化が起きた時に、「生存そのものに、大きな危機が訪れたような状況」のこととも言えるようである。

つまり、「江戸時代の日本人」のように、「約260年もの鎖国の時代」を経て、「黒船の来襲」が起きたような状況のことだが、この時の「衝撃」については、現代人が想像できないほどの規模でもあったようである。その結果として、世の中が、一挙に急展開し、日本が、一挙に開国へ向かったのだが、このような「時代の大転換」については、「第二次世界大戦」の時も、似たような状況だったものと考えている。

具体的には、行き過ぎた「軍国主義」により、多くの日本人は、「日本は神の国であり、決して、戦争に負けることはない」というような「誤った考え方」に支配されていた状況のことである。そして、「敗戦」の衝撃とともに、一挙に、「鬼畜米英」から「民主主義の礼賛」へと変化したのだが、「このような状況については、現在でも同様の事態が進行中ではないか?」と考えている。

つまり、現在が、「明治維新」と「第二次世界大戦の敗戦」に続く、「第三の敗戦の時期ではないか?」と言われている事態のことだが、実際には、「経済理論のガラパゴス化」により、ほとんどの人が、「実体経済」だけしか見ていない状況とも言えるのである。そして、「マネー理論」については、ほとんど忘れ去られているのだが、これからは、「ガラ携」を持つことを恥じるのではなく、「ガラ経」となった「現代の経済理論」を盲信することを恥じるべきではないかと考えている。