本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2014.7.7

日本の衆愚政治

「兵庫県議の号泣事件」については、たいへん驚かされるとともに、「世界中に発信されたことにより、日本の恥を、世界に晒(さら)したのではないか?」とも思われるが、この点については、「いろいろな議会での野次問題」を合わせて考えると、将来的に、「衆愚政治の典型例」として紹介される可能性もあるようだ。つまり、「21世紀の初頭、日本の政治が、これほどまでに堕落した」というような意見が出るものと考えているが、同時に、今回の「安倍首相の暴挙」についても、「立法府」である「議会」が、「実質的に、機能不全の状態になった」というような指摘も考えられるようである。

そして、このことにも、大きな意味が存在するものと考えているが、実際には、「失われた20年という期間が、どのような意味を持っていたのか?」という点に対する「考察」のことである。つまり、実際には、いろいろな「膿」が出た期間であり、表面的には、「日本の没落」の時期でもあったようだが、反対の観点からは、「日本人の覚醒」をするための「準備期間だったのではないか?」ということである。

具体的には、「民間企業」から始まった「不良債権の膿出し」が、次に「民間銀行」へと移行し、現在では、「国家に、不良債権が集中している状況」とも言えるのである。また、この時に、「政治家」や「官僚」が、「どのような考えで、どのような行動を取ったのか?」についても、明確な認識ができたようであり、その「極め付け」が、今回の、さまざまな「政治家に関する醜態」だったようにも思われるのである。

このように、現在の日本では、さまざまな難問が山積するとともに、「将来の展望」も描けないほどの状況になっているようだが、やはり、この時に大きな意味を持つのが、「日本人の覚醒」だと考えている。つまり、「第二次世界大戦の敗戦時」と同様に、「日本の惨状」を目の当たりにした時に、再度、「日本人全員」が、「知恵」と「汗」とを出し始める可能性のことだが、この時の必要条件が「真の危機感」を持つことだと考えている。

具体的には、「火事場の馬鹿力」のような状況が、「日本人」に生まれる可能性のことだが、実際には、これから想定される「本当のインフレ」の時に、すべての条件が整うものと考えている。つまり、「政治家」や「官僚」、あるいは、「学者」や「マスコミ」を含めた、すべての「国民」が、「総力を結集して、問題解決に当たるような状況」が生まれる可能性のことだが、この時には、「規制改革」などのような「生やさしい動き」ではなく、「明治維新」の時のような「大胆な改革」も想定されるようである。