本間宗究(本間裕)のコラム

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2014.7.17

今どきの若者は・・・

「今どきの若者は…」という言葉を使い始めると、「自分が老化を始めた証拠」だと言われるが、実際には、「自分を見直すためのヒント」とも言えるようである。つまり、「時代の変化」に関して、「自分は、どれだけ敏感なのか?」を考える「キッカケ」であり、また、「自分自身も、数十年前は、若者だった」という「当たり前の事実」を再認識するために、「若者たちが、教訓を与えている可能性」のことである。

別の言葉では、「20世紀」が「激動の時代」であり、「歴史上、稀に見るほどの大変化の時期」だったが、その渦中を生きた我々が、その変化に気付かず、常に、「自分の考えが正しい」という誤った認識を持った可能性のことである。また、「自分の全盛期」が「最も素晴らしい時代だった」という「思い込み」により、「現在の若者」を否定しがちになるようだが、実際には、「一世代が約30年」と言われるように、ほとんどの人々が、「30年単位でしか、昔を振り返っていない状況」とも思われるのである。

そのために、「100年単位」で、過去を遡ってみると、「全く違った姿」が見えるとともに、「自分の考えが、いかに浅はかなものだったのか?」という点に気付かされることにもなるようである。つまり、「時代」とともに「価値観」が変化するのだが、現時点で、私自身が感じる「今どきの若者は…」については、「苦労に対する考え方」のことである。

具体的には、「仕事」と「報酬」に対する「考え方」のことだが、「私が若かった頃は、一生懸命に働いた結果として、給料が貰える」という「考え方」が普通だったのだが、最近では、「自分が指示されたこと」だけをすれば「給料を貰うのが当然だ」と考える人が増えているようにも感じられるのである。

つまり、「努力」や「チャレンジ」に対して消極的になるとともに、「失敗に対する恐怖心」が大きくなっているようだが、このことが、いわゆる「大企業病」や「サラリーマン根性」の「正体」とも言えるようである。そして、この時に大切なことは、「若者たちの行動」を否定するのではなく、「自分自身の考え方」に誤りがある可能性を考慮することだと考えている。具体的には、「自分の労働よりも、多くの給料を貰う人」が増えた結果として、現在の「膨大な国家債務」が存在し、また、「失われた20年」が実現したという事実のことである。そして、これから必要なことは、現状を認識した上で、「これから、どのような事が起き、また、人々の意識が、どのように変化するのか?」を考えることでもあるようだ。