本間宗究(本間裕)のコラム

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2014.8.6

佐世保殺人事件を考える

7月26日に、「佐世保同級生殺人事件」という、きわめて痛ましい事件が発生したが、この点については、深い考察が必要だと考えている。つまり、現在では、「殺人事件の質」が、大きく変容したようにも感じているのだが、以前は、「保険金殺人事件」や「オレオレ詐欺事件」のように、「お金に困った人々が、お金儲けのために、いろいろな悪事を働いた」という状況だったようにも思われるのである。しかし、現在では、今回の事件や、あるいは、数多くの「通り魔殺人事件」のように、「人を殺したいから殺す」というような、「理解が難しい動機」が存在するようにも感じられるである。

つまり、現代人の「心の闇」が、今まで以上に深くなっているようだが、この点については、私自身の理解が足りなかったようにも感じている。具体的には、「保険金殺人事件」そのものが、「1970年代以降に頻発した事件だった」ということであり、また、「お金のために悪事を働く」ということ自体が、「倫理観や道徳の崩壊」を意味していたということである。別の言葉では、「社会の信用」や「人々の絆」に関して、「1970年代から、すでに、危機的な兆候が起きていた」という事実のことである。

また、過去を振り返ると、「1997年」に発生した「酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)事件」の頃から、「お金と無関係の殺人事件」が増えたようにも感じるのだが、このことは、「タテの絆」である「親子関係」の「断絶」にも、原因の一端が存在するようである。つまり、「親と子の信頼関係」が崩壊し、「子供たちに、居場所が無くなっているのではないか?」ということであり、しかも、「自分の存在価値」が否定されるような社会になっている可能性のことである。

その結果として、「いろいろな事件」を起こすことにより「社会から認めてもらいたい」というような「奇妙な欲望」が芽生えた可能性もあるようだ。つまり、「社会の信頼関係」が完全に失われたことを、象徴するような事件が多発したようにも感じられるとともに、表面上の「陰」が深くなっているものと思われるが、この時に起きることは、水面下の「陽」も、存在感を増しているということである

具体的には、「慈しみ」という「他人を思い、社会を憂う人々」が急増している可能性のことである。そして、これから想定されることは、「信用」を形にした「お金(マネー)」に関して「信じられないような事件」が発生することだが、この点に関しても、現在では、いろいろな兆候が出ている段階とも言えるようである。