本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.1.27

未完成の美学

江戸時代の日本では、「未完成の美学」というものが存在したそうだ。具体的には、「日光東照宮」に「逆柱」が存在するが、このことは、わざと柱の位置を逆にしたものである。そして、この理由としては、「完成と同時に崩壊が始まるために、あえて未完成の状態を作り出す」という思想を反映したものだそうだが、私自身としては、当時の「職人魂」が現れているようにも思われるのである。

つまり、「どのような作品にも完全は存在せず、常に、より良い作品を作る努力を忘れてはいけない」という「戒め」が込められているようにも感じるのである。そして、「どのような仕事においても、この態度が求められているのではないか?」とも考えているが、「戦後の日本」を考えると、「1980年代から、この精神が忘れ去れているのではないか?」とも思われるのである。

具体的には、「仕事の目的」が、「お金」という結果となり、本当に大切な「プロセス」が忘れられているようだが、この結果として起きた事が、「日本製品」の「対外競争力の減少」でもあったようだ。具体的には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉を信じ込み、日本人全体が慢心したようだが、その結果として起きた事が、「巨額な貿易赤字」の発生であり、また、「日本経済力の地盤低下」だった。

しかも、いまだに、多くの人が、現実を直視せず、過去の栄光に囚われているようだが、現時点で必要なことは、「世界的、歴史的に、日本は、どのような状態にあるのか?」を、よく理解することだと考えている。そして、「なぜ、日本の国力が、これほどまでに衰退したのか?」を真摯に反省する必要性があるようだが、実際には、全く逆のことが起きているようである。つまり、残された「日本の強さ」の部分だけが強調され、「日本が、どれほど素晴らしいのか?」が、過剰に強調されているようにも思われるのである。

別の言葉では、「自分自身が、自分の人生を真摯に生きる」ということよりも、「有名なスポーツ選手」などの活躍に感動することに熱中しているようだが、この点が、私が違和感を覚えたことだった。つまり、「なぜ、スポーツ選手が活躍すると、多くの国民に感動を与えることができるのか?」ということだが、やはり、本当の感動は、「自分自身が、自分の仕事に熱中し、楽しみを感じる事」であり、その時に、本当に「楽な人生」が送れるものと考えている。そして、このことが、「人生」における「未完成の美学」であり、決して、終わりが無い道とも言えるようである。