本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.2.25

秒読みを始めた金融時限爆弾

最近、海外では、きわめて衝撃的な言葉が使われ始めたが、具体的には、「2015年が審判の年になる」、あるいは、「西洋諸国の壮大な茶番劇が終焉の時を迎えている」というものである。つまり、異常なまでに大膨張した「マネー経済」に関する悲観的な意見のことだが、この点については、日本と海外とで、大きな認識の違いが存在するようだ。具体的に申し上げると、日本人は、「株価の上昇」に喜び、「アベノミクス」や「異次元の金融緩和」を高く評価しているようだが、海外の人々は、「金融時限爆弾が、秒読みを始めた可能性」を危惧しているようにも思われるのである。

つまり、今後は、「ギリシャ問題」や、あるいは、「ウクライナ情勢」などをキッカケにして、本当の「金融大混乱」が起きることを予想しているようだが、この点については、「歴史認識」や「金融に対する理解度」の違いを考える必要性があるようだ。具体的には、平和に慣れきった日本人にとっては、海外の人々が経験した「国家が消滅する事実」や、あるいは、「金(ゴールド)を抱えて、国境を越えた体験」が存在しないようにも思われるのである。

そのために、「どれだけ国家債務が増えようとも、日本がハイパーインフレになることは無い」と考える人が、いまだに、多数を占める状況のようだが、このことも、「日本人の性質」を考える上で、大きな意味を持っているものと考えている。つまり、「実際の大事件や大転換を経験しない限り、今までの考えや常識を改めることができない」という、一種の「慣性の法則」のようなものが、日本人には存在するのである。

しかし、不思議な点としては、「どのような事件でも、起きた後は、素直に受け止める」という性質も持ち合わせているようだが、このことは、「3・11の大震災」、そして、「福島の原発事故」以降の日本人の態度からも明らかなようである。つまり、古来、大震災などの天災に晒され続けた国民であり、その結果として、多少の事件には、驚かなくなっている可能性もあるようだが、実際には、農耕民族の特質とも言える「明日は今日の連続であり、それほど大きな変化が起きることはない」と多寡を括っている可能性も存在するのである。

このように、表面的には相反した性質を持ち合わせているようだが、この点については、間もなく、結果が明らかになるものと考えている。つまり、現代人が、命よりも大切だと考えがちな「現代のお金」に、大事件が起きる可能性が高まっているからである。