本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.4.27

人格と運格

東洋学には、「人格」と「運格」という区別があるそうだが、このことは、自分の「人格」を高めるために、現在の「運格」、すなわち、「人生のプログラム」が存在するという「考え方」である。つまり、「人生の目的」は、本来、「人格」を高めることにあると考えられているようだが、この方法としては、「与えられた境遇において、自分の仕事に集中する」という点が指摘されているのである。

別の言葉では、「星」という言葉が意味するように、「生まれた日により、人生の9割は、すでにプログラムされている」という考え方のことだが、この点については、現在のような科学万能の現代においては、「非科学的である」と感じる人も、数多く存在するようである。また、「人生のプログラム」というのは、基本的に、「その人が、人間的に最も成長できる道筋」が選択されているようであり、この「道筋」から離れた時に、「病気」や「事件」などにより、「天からのメッセージ」が到来するとも考えられているようである。

また、このような考え方は、「仏教の教え」に通じるものがあるようだが、具体的には、「成仏」という言葉のとおりに、本来、「全ての人が、努力により、お釈迦様のような存在になれる」とも言われている。つまり、「人生の目的」は、「人間性を高めて、仏陀のレベルに近づく」ということだが、「現代人」にとっては、「全く、信じられないような話」とも言えるようである。

このように、「科学万能主義」となり、また、「お金が全て」と考える人々が多くなった現在では、「人格」を高めることなどは、ほとんど、忘れ去られてしまったようである。つまり、「お金」のみならず、自分の「地位」や「名誉」に固執する人が多くなり、「他人の為」、あるいは、「社会の為」と考える人が少なくなったようだ。別の言葉では、人々の「価値観」が、「目に見えるもの」と「自分」とに向いており、このことが、「信用」を形にした、現代の「マネー」を大膨張させたものと考えている。

しかし、これから想定されることは、「マネーの逆襲」であり、実際には、「現代の通貨が、絵に描いた餅にすぎない」という事実を実感させられることである。そして、その時になって初めて、多くの人が、「あの世まで、お金を持っていくことはできない」という事実を認識するものと思われるが、同時に、「自分の人生とは、いったい、何だったのか?」を考え始めることになるようだ。具体的には、冒頭の「人格」と「運格」の違いであり、また、「輪廻転生」などのことである。