本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.8.26

戦後レジームからの脱却

安倍首相が提唱する「戦後レジーム(体制)からの脱却」については、今まで、ほとんど意図することが理解できなかったが、今回の「首相談話」、あるいは、「明治維新以降の歴史」を考えると、朧(おぼろ)けながら、内容が見えてきたようにも感じている。具体的には、「明治維新」の時に、「長州藩」が、「賊軍」から「官軍」へと転換し、その後、「薩長同盟」を経て、「大政奉還」にまで行き着いた状況であり、また、その後、「大日本帝国憲法」により、「天皇陛下が大権を握っていた状態」のことである。

別の言葉では、「明治維新」以降の「日本」は、「富国強兵」や「殖産興業」を旗印にして、歴史的にも括目すべき「急成長」を遂げたのだが、この原動力の一因となったのが、「天皇陛下への忠誠心」でもあったようだ。つまり、「天皇陛下の為なら、命も惜しまない」という「考え」が、徐々に浸透し、また、「日清戦争」や「日露戦争」、あるいは、「第一次世界大戦」などの勝利により、「軍部の力」が急速に拡大したようにも思われるのである。

しかし、問題は、「1931年からの満州事変」であり、この前後から、「軍部の暴走」が始まったようにも感じているが、その後は、ご存じのとおりに、「1937年からの支那事変」や「1941年からの大東亜戦争」により、「軍部が支配する構造」が出来上がったようである。そして、この時、「天皇大権」は、ほとんど形骸化し、実際には、「天皇陛下でも、戦争を止めることができない状況」が発生したようにも思われるのである。

別の言葉では、「天皇陛下も、ある種の犠牲者だったのではないか?」ということだが、この点については、「明治維新」の時から、「天皇陛下の政治利用」が始まった可能性も存在するようである。そして、戦争の末期には、「天皇陛下のため」という言葉が乱用され、結局は、「多くの日本人が、落とさなくてもよい命を犠牲にした状況」となったようだが、この時に、「軍部による強制力」も、大きな力を発揮したようにも感じられるのである。

このように、「明治維新」から「戦後」までの歴史をたどると、結局は、「薩長土肥」を中心にした「政府」が、「絶対的な権力を基にして、思い通りの政治を実行した」ようにも感じているが、現在の安倍首相が望んでいることは、「このような状態が復活すること」とも考えられるようである。つまり、「積極的平和主義」というスローガンを掲げ、「世界の警察」の役割を、「アメリカ」とともに果たそうとしているようだが、この点については、「時代錯誤」の考え方であり、また、「軍事力」を支える「金融力」については、ほとんど、考慮されていないようにも感じている。