本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.10.26

人生のジグソーパズル

「禅」の世界では、「四十、五十は、洟(はな)垂れ小僧、六十歳で一人前になる」という考え方があるそうだが、この観点からは、「還暦」をすぎた私自身も、ようやく、一人前の状態になったようである。そして、現在、感じていることは、「人生は、ジグソーパズルのようなものではないか?」ということだが、具体的には、「歳を重ねると、いろいろなことが見えてくるのではないか?」、あるいは、「今までの人生は、全て、意味があったのではないか?」ということである。

別の言葉では、60歳までの人生は、すべて、「天地自然の理」との「戦い」だったようにも感じているが、実際には、「人智」という「既存の学問や常識」などに囚われすぎていたために、「なぜ、いろいろと理不尽な事件が起こるのか?」が理解できなかったようにも思われるのである。つまり、「マネーの大膨張」を始めとして、「バブル発生や崩壊」、あるいは、「9・11事件」や「3・11の大震災」など、既存の常識では考えられなかったような事態が、過去数十年間で、数多く発生したのである。

そのために、時には、「神も仏もあるものか?」と考えがちになり、実際に、何度も、「神や仏が存在するならば、これほどまでの苦難は、必要が無かったのではないか?」と自問自答してきたのである。しかし、還暦を過ぎた頃から、この考えが、徐々に変化し、現在では、「全ては天の計らいだったのではないか?」、また、「自分の人生で起きたことは、全てが、ベストだったのではないか?」と考えるようになったのである。

つまり、「人生の目的」は、結局のところ、「魂の成長」にあり、「人生で起こることは、全てが、この目的に必要なことだったのではないか?」とも感じているが、実際には、さまざまな難問や苦悩を経験したことにより、「社会や歴史の全体像」が、徐々に、見え始めてきたようにも感じている。別の言葉では、「日々の出来事」の全てが、「ジグソーパズルの一片」だったようにも思われるが、この観点からは、「全ての艱難辛苦」が、実際には、「喜び」だった可能性も存在するようである。

そして、今後は、「天や神が、これから、どのようなドラマを見せてくれるのか」、また、「その時に、自分や人類が、どのような成長を遂げるのか?」を楽しみにしながら、人生を送ることができるようにも感じている。つまり、「5次元の経済学」では、「自分の宝物」が、基本的に、「人生で経験した事」だけとも言えるために、「あの世に帰った時に、どれほどの宝物を持っているのか?」が、根本的な価値観とも考えられるのである。