本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.1.7

「腑に落ちる」と「腑に落とす」

私の経験則からは、「腑に落ちる」ということよりも、「腑に落とす」という方法の方が有効だったようにも感じているが、実際には、「お金の謎」や「時間のサイクル」などの「未知の難問」に対して、「いったん、腹の中に収める」という手法のことである。別の言葉では、「腑に落ちる」という言葉は、「分からなかった事柄が、心から納得できた」、あるいは、「他人からの説明が、よく理解できた」という意味で使われているようであり、未解決の問題には、役に立たなかったようにも思われるのである。

一方で、「腑に落とす」という方法の場合には、「腹の中にしまっておいた問題が、その後、時間の経過とともに、答えが閃(ひらめ)いた」という状況を、何度も経験したのだが、その後、これらの答えについては、ほとんど、間違いがなかったようにも感じている。そのために、今後も、さまざまな難問に対して、継続して、この方法を取ろうと考えているが、この時に考えさせられたことが、「エジソンの言葉」である、「99%の努力」と「1%のインスピレーション」でもあった。

つまり、「エジソン」も、「新商品の開発」に際して、「さまざまな実験を繰り返し、また、数々の失敗を犯した」という状況でもあったようだが、その結果として得られたのが、「1%の閃(ひらめ)き」だったようにも思われるのである。別の言葉では、「寝ても覚めても、一つの問題を考え続ける」という努力の結果として、「想いが天に通じたのではないか?」ということだが、この点については、やはり、「五次元の経済学」でしか説明が付かないようにも感じている。

具体的には、「あの世の人々」の存在のことだが、「人間の魂は不滅である」と考えると、「あの世に帰った人々が、閃きという形で、答えを教えてくれるのではないか?」ということだが、この点については、現在、あまりにも、荒唐無稽な考え方と非難される可能性も存在するようである。つまり、「科学一辺倒の時代」においては、「あの世の存在」は、全く無視されているからだが、今後、さまざまな難問に悩まされた時に、どうしても、「目に見えない存在」に行き着くことも考えられるようである。

ただし、この時に注意すべき点は、「西暦400年から1200年前の西洋人」のように、「神様一辺倒の時代」になる可能性であり、実際には、それまでの「技術」や「考え方」、すなわち、「科学的な蓄積」が、全て葬り去られたのである。つまり、「歴史が、再び、繰り返されるのか?」ということである。