本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.3.15

求めよ、さらば、与えられん

聖書に、「求めよ、さらば、与えられん」という有名な言葉があるが、実際には、きわめて深い意味が隠されているものと考えている。つまり、「時代とともに、人々が求めるものが変化する」ということであり、また、「個人の欲望は、往々にして、与えられない場合が多い」ということである。具体的には、「宝くじを買って、お金持ちになりたい」というような「欲望」については、実現する可能性は、ほとんど皆無であり、また、反対に、「当たった人は、ほとんどの場合に、その後、不幸になる」とも言われているからである。

しかし、一方で、今までの「数多くの発見や発明」などのように、「新たな商品や技術開発により、世界中の人々が、楽に暮らせるようになる」と考えた場合には、「求めたものが与えられるケース」も、数多く存在するようである。あるいは、「芸術やスポーツ」などの分野においても、「自分の技術を高めることにより、より高い境地に進みたい」と考えた場合には、やはり、結果が与えられることになるようである。

このように、「人々は、何を求めて、自分の時間を使い、努力するのか?」を考えることが、「天地自然の理」を理解する方法の一つのようにも思われるが、同時に、「これから、どのような時代が訪れるのか?」を考える上でも、たいへん有効だとも感じている。つまり、現代人が求めてきたものは、基本的に、「お金」であり、今回の「マイナス金利」は、「世界中の人々が、求めてきた結果の出来事」とも考えられるのである。

しかも、今後は、「ハイパーインフレ」により、きわめて短期間の内に、「お金の価値が激減する事態」が到来するものと思われるが、問題は、「このような状況下で、人々が、何を求め始めるのか?」ということだと考えている。つまり、多くの人が「なぜ、このような事が起こるのか?」と悩み始め、その結果として、「真理の追究」が盛んになることが、過去の歴史が教えることとも言えるからである。

具体的には、「文明法則史学」が教えるとおりに、「唯物論の時代」がピークを付けた後に、「唯心論の時代」が始まる可能性のことだが、確かに、「西暦400年から1200年までの日本の歴史」を振り返ると、多くの人が、真剣に「仏教」を学んだことも理解できるのである。つまり、当時の「最先端の学問」は、「お釈迦様の教え」を学ぶことだったようだが、今回は、「同様の歴史が繰り返されるのか?」に注目するとともに、「世界は、常に進歩する」という観点から、「唯物論」と「唯心論」が融合した世界が訪れる可能性に期待している次第である。