本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.3.28

コンピューターの発展と人類の未来

先日、「コンピューターが、囲碁の第一人者に勝利した」という、衝撃的なニュースが流れたが、このことも、「人類の進化」を象徴する出来事だったものと感じている。つまり、「過去100年間の歴史」を振り返ると、さまざまな「技術進化」により、実に「便利な社会」が形成されたことが見て取れるが、具体的には、「自動車」や「ジェット機」、あるいは、「携帯電話」や「コンピューターネットワーク」などが普及したことにより、「人間の労働」が、大幅に減少したことが理解できるのである。

つまり、かつては、「公共料金の徴収」も、「個々の家庭に、集金人が訪れる」というような状況であり、また、「給料が、現金で支払われていた」という経験をした人も、数多く存在するのである。しかし、現在では、「世界中の人々が、コンピューターネットワークで繋がり、海外の人々と、瞬時に交信ができる状況」となっており、この結果として、さまざまな職業が消滅し、また、新たに生まれたことも理解できるのである。

また、古くは、「自動車の発展」により、「駕籠かき」などの職業が消滅したが、この点を、よく考えると、「労働価値とは、一体、どのようなものか?」という疑問点に行き着くようである。つまり、古典的な経済学では、「労働価値説」という理論が存在し、「商品の価値は、投入した労働力によって計られる」という考えが、信じられていたのである。しかし、実際には、「機械化」、「産業化」により、いろいろな商品が機械によって生産されるようになったために、いつの間にか、労働価値説は、学問的な効力を失ったのである。

このように、「自然科学」に関する「技術の進化」は、たいへん目覚ましいものがあったものと考えているが、問題は、「社会科学」の分野である、「経済学」や「哲学」、あるいは、「道徳」などが、ほとんど進化しなかった点が指摘できるようである。特に、「マネー理論」においては、「誰も、お金の謎を考える人がいなかった」というような状況であり、その結果として、「富の偏在」や「貧富の格差」が、世界的に進展したものと考えている。

具体的には、現在の「世界の富」が、ほとんど、「国家」や「メガバンク」によって支配されている状況のことである。つまり、具体的な数字を見ると、「世界で最もお金持ちである」と言われる「ビル・ゲーツ氏」でも、「約8.5兆円」にすぎず、「約10京円」と推測される「世界全体の金融資産」からは、実に、わずかな金額にすぎないのである。別の言葉では、現時点で、危惧すべきは、「コンピューターによって支配される社会」ではなく、「お金によって支配されている人類」とも考えられるのである。