本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.4.4

クルーグマン教授のオフレコ発言

3月22日に、ノーベル経済学賞を受賞した「クルーグマン教授」と「安倍首相を始めとした政府高官」との会合が開かれた。そして、この内容については、いわゆる「オフレコ発言」だったはずだが、現在では、クルーグマン教授により明らかにされている。そして、原文を見ると、いろいろな点が指摘されているが、基本的に、「クルーグマン教授」が考えていることは、「経済政策の非対称性」であり、実際には、「現在の日本は、大胆な財政政策を実施すべきである」ということでもあるようだ。

つまり、かつての「大恐慌か、それとも、大インフレか?」という議論のように、「現在、財政政策を実施しなければ、世界経済は、更なる不況に陥る」、そして、「その時には、世界経済を救う政策的な手段が見つかりにくい」というものである。しかし、一方で、「財政政策を発動すれば、世界経済が良くなり、その時には、イエレン議長や黒田総裁、そして、ドラギ総裁は対応できる手段を持っている」とも考えているようである。

また、「金融政策」については、「世界的に限界点に達しており、今後は、影響力が減少するだろう」ともコメントしており、「クルーグマン教授は、あくまでも、財政政策に固執している状況」とも言えるようである。しかし、この点については、実際のところ、「10年前、あるいは、20年前の議論」ではないかとも感じられたが、私が、このコラムの連載を始めた「1999年」に申しあげたことは、「ケインズの嘆き」でもあった。

つまり、「貨幣論」を重要視していた「ケインズ」は、「約50年に一度、世界の通貨制度が破綻している」という事実を捉え、「通貨の堕落」を、大きな問題であると考えていたのだが、当時の「ケインジアン」と呼ばれる経済学者は、「景気が悪くなれば、穴を掘ればよい」というように、「財政政策の実施」だけを重視していたのである。しかし、その後の推移をみると、「失われた20年」という言葉のとおりに、「日本経済は、たびたびの財政政策にもかかわらず、依然として、落ち込んだままでの状態」となっているのである。

しかも、現在のアメリカでは、「中央銀行は、弾が尽きた巨大兵器である」というコメントが出ており、このことは、「全ての手段」が尽き、「紙幣の増刷」という「通貨の堕落」が、誰の目にもはっきりと見える段階に差し掛かっている状況とも考えられるようである。別の言葉では、「クルーグマン教授」は、「ケインズ経済学」の一面だけを捉えており、最も重要な点を無視しているようだが、かりに、この意見を、「安倍首相」が鵜呑みにするとしたら、「不幸な目」を見るのは、「日本国民」とも言えるようである。