本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.6.15

舛添都知事の政治資金疑惑問題

6月は、「舛添都知事の問題」で大騒ぎの状況となったが、実は、この事件も、「市場経済から共同体への移行」に関する象徴的な出来事とも考えられるのである。つまり、「市場経済」が発展する過程では、徐々に、「法治国家」が形成されるものと考えているが、この時に発生する事態が、「違法でない限り、どのような手段も取る」という「人々の態度」とも言えるのである。別の言葉では、「道義的に問題があろうとも、さまざまな知恵を駆使し、お金儲けに奔走する態度」のことだが、この結果として発生したのが、「マネーの大膨張」であり、また、「マイナス金利」でもあったようだ。

つまり、「目に見えるもの」を重視する社会においては、「唯物論」が発展し、最後の段階では、「お金」という「物質を代表する存在」が「神様」のように扱われたものと思われるが、その結果として、「人々の心」に芽生え始めたのが、「このままではいけない」という思いでもあるようだ。別の言葉では、「唯心論」という「精神面を重要視する人々」が急速に増え始めているようにも感じられるが、このことが、「共同体(コミュニティー)」の特徴とも言えるのである。

そして、今後は、「法治国家」の限界が見え始めるとともに、「徳治国家」の理念が広がっていくものと考えているが、このことは、「人々の行動を規制するものが、法律ではなく、道徳や倫理観である」ということでもあるようだ。つまり、「舛添都知事のようにはなりたくない」と考える人が増えることにより、「人々の意識と行動」が、大きく変化する可能性のことだが、基本的には、「人間関係」を重視し、「自分の人生を見つめ直す行為」が広まっていくようにも思われるのである。

また、この動きに拍車をかけるのが、「国債価格の暴落」ではないかと考えているが、実際には、「現代の神様」となった「お金」が、「実は、頼りにならないものだ」という事実を、世界中の人々が実感する状況が想定されるのである。そして、その後は、「唯物論」と「唯心論」が合体することにより、「新たな時代」が発展することを想定しているが、今回の「舛添都知事」は、この点に関する「偉大なる反面教師」とも考えられるようである。

つまり、「不適切だが、違法ではない」という言葉には、実に多くの意味が隠されているとともに、今後の世の中に関して、さまざまなヒントを与えてくれているようだが、実際には、このことが、「舛添都知事の役割」だった可能性もあるようだ。ただし、今後は、「積不善の家に余殃あり」という言葉のとおりに「子孫の苦労」も考えられるのである。