本間宗究(本間裕)のコラム
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2016.8.4
障害者の大量殺傷事件
7月26日の未明に発生した「障害者の大量殺傷事件」については、たいへん驚愕させられたが、その理由としては、現代人の「心の闇」が、これほどまでに広がり、また、深くなっている事実が指摘できるようである。つまり、「26歳の若者」が、「障害者は、生きている価値がない」と考えたようだが、この時に報道されているのが、「大麻を吸い、ヒトラーの思想に悪影響を受けた」ということだった。
別の言葉では、「生きる価値」、あるいは、「人生の価値」を、今まで以上に真剣に考えさせられたのが、今回の事件だったが、基本的には、「生かされている」ということには、必ず、大きな意味や価値が存在するようにも感じている。つまり、「数多くの障害者が、実に見事な仕事をされ、また、精神的な成長を遂げた」という事実が見て取れるわけであり、具体的には、「ヘレンケラー氏」や「中村久子氏」、あるいは、「盲目のピアニストである辻井伸行氏」などが、実例として挙げられるのである。
そして、この時に感じたことは、「重症な障害者」も含めて、全ての人々に、「魂」という「記録維持装置」が存在し、「現世の記憶や経験が、来世に持ち越されるのではないか?」ということだった。別の言葉では、私が想定する「5次元の経済学」では、「健常者」や「障害者」の区別が存在せず、「すべての人が、自分の与えられた環境で、今できることに全力を尽くす」という態度が、最も大切なことだと考えている。つまり、「一所懸命に、自分の人生を生きる」ということであり、実際には、「この経験が、本当の宝物であり、この点については、全ての人が平等な条件を与えられている」ようにも感じられるのである。
そして、同時に感じたことは、「時代の大転換」でもあったが、実際には、「市場経済」という「金銭関係を重視した社会」から、「共同体」という「人間関係を重視した社会」への移行が、すでに始まっている可能性である。つまり、「時は金なり」の思想から、「時は命なり」という考えに移り始めているようだが、残念ながら、この点が、世界的に理解されるためには、まだ長い時間が必要なようにも感じている。
具体的には、「西暦1200年頃」から「唯物論」の考えが広まったが、その後、「西暦1600年頃」に、「時は金なり」の思想が確立し、その後は、世界中の人々が、「金儲け」に奔走したのである。そして、今回の事件は、このような歴史背景が、根底にあったようだが、実際には、「命よりも、お金の方が大切な社会」においては、「これほどまでに凄惨な事件が頻発する」という事実を、改めて見せつけられたようにも感じている。