本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.8.15

人生の金メダル

オリンピックを見ていると、「勝負の妙味」に加えて、「人生のドラマ」が、熱狂する要因のようにも感じられるが、確かに、「素晴らしい才能を持つ人が、血の滲むような努力をすると、常人とは比べようもないレベルにまで達する」ということも、間違いのない事実でもあるようだ。また、「メダルを取れた喜び」や「僅差で敗れた悔しさ」なども、見ている人の人生経験と重なり合うことにより、より一層、熱狂を増幅させているようだが、実際には、「メダルや順位などの結果」よりも、「それまでの努力」の方が、人生において、より大きな価値があるようにも感じられるのである。

また、この点については、「オリンピックの参加者」だけではなく、「全ての人が、同じ条件ではないか?」とも考えているが、実際には、このことが、「お釈迦さま」の言葉である「天上天下唯我独尊」が意味することでもあるようだ。つまり、「それぞれの人には、それぞれの特殊な能力や才能があり、努力次第では、誰でも、お釈迦様のような精神レベルにまで達することができる」というものである。

別の言葉では、「全ての人が、人生の金メダルを取れるのではないか?」ということだが、具体的には、「各人が、自分の職業に専念し、努力をすれば、精神的な向上が可能である」ということである。つまり、「職業に貴賎なし」という言葉のとおりに、「どのような職業、あるいは、どのような人生においても、本当の目的は、精神的な向上ではないか?」とも考えているが、現代人は、どうしても、この点を忘れがちになり、「金メダルを取った人」、あるいは、「他人の成功」を羨ましく思う傾向があるようだ。

つまり、「表面上の結果」だけを見て、「水面下の努力」を見落としがちになるようだが、実際には、「人生の宝物」が「自分の経験」だけであるように、「あの世まで持っていけるものは、お金や名誉ではなく、失敗など経験から得られた教訓ではないか?」とも思われるのである。そして、このことが、これから想定される「共同体的な社会」、あるいは、「唯心論的な考え」の「神髄」ではないかと考えている。

つまり、今までのような「資本主義」、また、「市場経済」の考えでは、今後の時代変化に対応できなくなる可能性を憂慮しているが、この点については、今後、「国債価格の暴落」、また、「お金が紙切れになる事態」を見た時に、はっきりと認識されるものと考えている。その結果として、今後は、「自分自身が努力して、人生の金メダルを取ることが、自分にとって最も大切なことである」という考えに変化するものと考えている。