本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.8.24

夢と希望を失った現代人

今回のオリンピックを見て感じたことは、「金メダル」を目標にした若者たちが、「苦労を厭わず、実に多くの時間と努力を積み重ねた」ということだった。別の言葉では、「目標が定まった時に、人間は、信じられないほどの力を発揮する」ということだが、このような「努力の結晶」と「誰もが金メダルを得ることはできない」という厳然とした事実が、さまざまな「人生ドラマ」を生み出し、我々に、大きな感動を与えたようである。

しかし、反対の観点からは、ほとんどの人は「観客」にすぎず、単に、「他人である選手の努力」を眺めている状況とも考えられるのである。そして、「オリンピックの熱狂」が覚めた後に、「自分の現実」に引き戻されることになるのだが、この点に関して、「現代人が、明確な努力目標を失った可能性」が危惧されるようである。

つまり、「現代人は、夢と希望を失ったのではないか?」ということだが、実際のところ、今までは、「良い大学を出て、大企業に就職し、安定した人生を送る」ということが、人々の共通した「価値観」や「目標」だったようにも思われるのである。別の言葉では、「お金が全てである」と理解する人が増えた状況でもあったようだが、実際には、「世界の資金」のほとんどが、一部のメガバンクや政府によって保有されているために、多くの一般庶民は、「ゼロ金利」に甘んじ、また、「格差社会」により、「その日暮らし」の生活に我慢している人も、数多く存在する状況とも考えられるのである。

そして、このことが、「西暦1200年頃」から始まった「市場経済」が行き着いた「帰結」だったようだが、現在では、徐々に、「共同体的な社会」への変貌が始まったようにも感じられるのである。つまり、「唯物論」から「唯心論」への移行であり、実際には、多くの人が、「お金儲け」よりも「精神的な安定」を求め始めたようにも感じられるのだが、この時の問題点は、「具体的にどのような行動を取ればよいのかが、理解できない状況」でもあるようだ。

その結果として、人々の「心」に、大きな「闇」が生じ、さまざまな「犯罪」が引き起こされているようにも感じているが、この点については、「戦後の日本人」のように、「敗戦の焼け野原状態」に陥った時に、「新たな希望と夢」が発生するものと考えている。つまり、「人生で最も大切なものは命であり、また、自分が心から望むことを行う」という「考え方」への転換のことだが、今回は、「国債価格の大暴落」、そして、その後の「ハイパーインフレ」が、そのきっかけになるものと考えている。