本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.10.5

女性リーダーの出現

中国の古典である「書経」に、「雄鶏に替わり、牝鶏が朝を告げるのは、亡国の前兆である」、すなわち、「現在のように、女性が勢力を振るうことは、世の中が乱れる前兆である」という言葉があるが、この点については、私自身も、長年、解釈に頭を悩ましてきた。つまり、明らかな「女性蔑視」の言葉ではないかと考えるとともに、「より深い意味が存在するのではないか?」という点を模索し続けてきたが、現在では、ようやく、納得のいく回答が得られたようにも感じている。

つまり、「文明法則史学」が教える「西洋の時代から東洋の時代へ」、また、私の想定する「市場経済から共同体へ」という変化を考えると、「現在、世界のいろいろなところで、女性リーダーが出現している現象」は、当然の成り行きとも想定されるのである。別の言葉では、「西暦1200年から2000年」は、「西洋の時代」であり、また、「男性優位の、唯物論的な資金の奪い合いの時代」だったようだが、今後の「西暦2000年から2800年」においては、「東洋の時代」、そして、「女性優位の、唯心論的な愛情を分かち合う世界」が予想されるからである。

より具体的には、「市場経済」が、基本的な考えとなった結果として、「西暦1800年頃」から、いわゆる「資本主義社会」が形成され、また、その最後の段階では、「金融の狂気」と言われるような「行き過ぎた金融資本主義の時代」までもが訪れたのである。そして、この時に現れたのが、「マネーの大膨張は、格差社会を形成するとともに、人々の心を蝕(むしば)むのではないか?」という疑問であり、実際に、「異常気象」までも含めて、「地球全体がおかしくなっている可能性」までもが指摘され始めたのである。

その結果として、現在では、「男性優位の西洋の時代」から「女性優位の東洋の時代」に、大きく移行し始めているようにも思われるが、この結果として発生するのが、「既存社会の崩壊現象」とも考えられるのである。別の言葉では、「行き過ぎたマネーの大膨張」が終焉の時を迎える可能性のことだが、昔の人は、このような現象を見て、「亡国の時代である」と理解した可能性もあるようだ。

つまり、「終わりは始まりである」という言葉のとおりに、「新たな時代」が始まるためには、「形骸化した既存社会の崩壊」が必要であり、このことは、「歴史の真実」とも言えるようだが、「慣性の法則」に慣らされた人々にとっては、この点が理解できず、結果として、冒頭の言葉が誕生した可能性もあるようにも感じている。