本間宗究(本間裕)のコラム

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2017.10.4

学得底と体得底

先日、ある所で「学得底と体得底」の話を伺ったが、このことは、「禅の用語」であり、具体的には、「書物などから学んだ知識」が「学得底」であり、また、「実践から得られた智慧」が「体得底」と呼ばれているそうだ。そして、「人生で役立つのは体得底であり、学得底ではない」とも理解されているようだが、この説明で気付かされたことは、「日本の失われた20年の原因が、この点にあるのではないか?」ということだった。

つまり、過去20年間、「日本のGDP」が、ほとんど成長せず、また、「日本の競争力」も、驚くほどの低下をしている原因の一つが、「体得底」よりも「学得底」を重視した点にあるようにも感じられたのである。別の言葉では、「日本人」が「良い大学を出て、大企業に就職すれば、人生は安泰だ」という「理解」や、「手足よりも、頭や口を動かすこと」を重要視した「態度」などが指摘できるようだ。

より具体的には、「既存の常識を疑い、新たな理論や技術などへ挑戦する態度」であり、また、「仮説検定により、理論の正当性を検証する態度」が欠けた状況だったようにも感じられるのである。特に、現在の日本では、「自分の意見を、実証的に検証する態度が乏しい状況」とも言えるようであり、実際には、「経済学」や「投資理論」において、「最低でも30以上のサンプルから、自分の理論を正当化する」という態度が、極めて乏しい状況のようにも思われるのである。

その結果として、「上がれば強気、下がれば弱気」というように、「相場の動向」に左右される人が、ほとんどの状況とも言えるようだが、このような状況が継続すると、ますます、「海外投資家との脳力格差」が広がっていくようにも感じられるのである。そのために、今後の注目点は、「いつ、日本人が、体得底の重要さに気付かされるのか?」ということだと考えている。

別の言葉では、「いつ、本格的な日本の覚醒が始まるのか?」ということでもあるが、この点については、やはり、大きな試練に遭遇することが必要不可欠な条件とも言えるようである。つまり、「鈴木大拙氏」の「日本的霊性」という著書に書かれているとおりに、「日本人の霊性的自覚」については、古来、「蒙古の襲来」のような大事件がキッカケになることが多かったようだが、今回は、「神様」となった「現代の通貨」が、「ほとんど紙切れの状態になる」ことが、ほとんどの人が驚く大事件であり、時期的には、たいへん近くなったようにも感じている。