本間宗究(本間裕)のコラム

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2018.1.24

ビッグデータ資源説

最近、驚かされたことに、「ビッグデータが資源である」という考え方があった。つまり、「大量のビッグデータを保有し、分析すれば、お金儲けができる」という理解のことだが、この点については、「資本主義の成り立ち」や「お金の性質」を無視した「無謀な認識」とも言えるようである。別の言葉では、「お金が神様となった社会」を象徴するような意見のようにも感じられたが、実際には、「データは資源ではなく、単なる記録にすぎない」ものと考えている。

より具体的には、本来、「人々の商業行動」を意味する「実体経済」が「主」であり、一方で、「マネー経済」は「従」の関係となっているが、このことは、「人々の存在」抜きに、「お金の存在」が有り得ない状況を意味している。つまり、「お金」は、「約6000年前」に、「人類が発明した、生活するための便利な手段」にすぎないものと考えているが、現在では、この点も忘れ去られた状況とも思われるのである。

また、「お金」は「残高(ストック)」であり、「実体経済の活動により、継続して増え続ける性質」、そして、「インフレでしか残高が減少しない性質」を持っている。つまり、「どのような時代、どのような国」においても、「お金」は増え続ける傾向があるものの、一方で、根本の「信用」を使い果たした時に、「インフレ(通貨価値の減少)」により、実質的に「紙切れの状態」となることが見て取れるのである。

そして、現在は、「1971年のニクソンショック」から始まった「信用本位制」、すなわち「信用や錯覚を通貨の基本とした通貨制度」となっており、この最終局面で大膨張したのが「金融界の大量破壊兵器」と呼ばれる「デリバティブ(金融派生商品)」だった。つまり、現在では、今まで人類が蓄積した「信用」が、完全に使い果たされるとともに、すでに、本当の「インフレ」が始まった状況とも考えられるが、このような状況下で、「過去の行動」を表す「ビッグデータ」に、どれほどの価値が存在するのだろうか。

そのために、私自身の感想としては、「ビッグデータの効用」が、「お金儲け」のためではなく、「人々の行動」を分析するために存在するものと考えている。つまり、「自然科学」ではなく、「社会科学」という「人々の道徳心や倫理観」を成長させるキッカケになるものと考えているが、実際には、「囲碁」や「将棋」で活用された「ディープラーニング(深層学習)」の応用により、「戦争や紛争が存在しない、平和で効率的な社会の構築」に役立つ可能性のことである。