本間宗究(本間裕)のコラム
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2018.9.24
樹木希林が意味するもの
9月15日に、女優の樹木希林さんが逝去されたが、彼女は単なる「個性派女優」ではなく、精神面での成長を望んだ「求道派女優」とでも呼ぶべき存在でもあったようだ。そして、私自身が、特に注目したのが、「樹木希林」という芸名だったが、本来は、「樹木が集まり、希に見る林を形成する」という意味が込められていたそうだ。つまり、「いろいろな個性が集まった結果として、素晴らしい作品を作ることができる集団が形成される」という思いが込められていたようだが、私自身としては、まったく違ったメッセージを受け取ったようにも感じている。
具体的には、この芸名が付けられたのが「1977年」という、私が金融界に従事した年であり、また、彼女が亡くなられたのが、私が注目する時である「2018年9月」だったために、この点が、私自身の社会人人生と重なって見えたのである。つまり、「過去42年間」が、走馬灯のように、私の脳裏に浮かんでくるとともに、「樹木希林が意味することは、金融の木や林ではないか?」とも感じたのである。
より詳しく申し上げると、この期間は、「マネーの大膨張」に関して、「人類が未曽有の体験をした時」だったが、実際には、「世界全体で、金融の樹木が成長し、金融の林までもが形成された期間」だったものと思われるのである。しかも、「2008年前後のGFC(金融大危機)」の時には、「枝葉の意味を持つデリバティブが、約8京円という規模にまで大膨張した」という状況であり、実際には、この時が、「世界のマネー」の最盛期だったものと考えている。
しかし、その後の「量的緩和の10年間」を経て、現在では、「枝葉が落ち、樹皮が剥がれ、立ち枯れとなった金融の林」となった状況のようにも感じられるが、今後は「国債価格の暴落とともに、世界各国の中央銀行が、大々的に紙幣の増刷を始める段階」が到来するものと想定されるのである。つまり、「目に見えないコンピューターマネー」が、「目に見える紙幣」となり、いよいよ、「通貨の本質」が見え始める状況を想定しているが、この点については、次の「樹木希林さんのコメント」が参考になるものと考えている。
具体的には、「片目を失って気付かされたことがある」というコメントであるが、実際のところ、「目に見える肉体や財産」などよりも、「目に見えない精神的な成長」の方が、彼女の人生にとって、より大切なものだったようにも感じられるとともに、私自身としては、この点に、今後の「世界的な進化」のヒントが隠されているようにも感じている。