本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.1.9

三次元の観念論と四次元の具体論

今から1600年ほど前に、「インド」で成立し、かつ、展開された「唯識論」については、「驚き」とともに「残念さ」を感じた。つまり、「人間の心」に関する「精緻な理論」が、はるか昔に展開していた事実に「驚愕の念」を抱いたが、一方で、「三次元の観念論」により「理論の堂々巡り」が行われた結果として、「その後、ほとんど理論的な発展がみられなかった状況」に対して、大きな失望感を抱いたのも事実だった。

具体的には、「各個人にとっての世界は、その個人の表彰(イメージ)にすぎない」という結論により、「目の前に存在するリンゴ」についても、「実際には存在しない」と理解されているのである。つまり、「三次元」という「時間の観念を無視した考え」により、誤った結論に導かれたようだが、「四次元の具体論」では、「時間の経過とともに、リンゴが、どのようにして出来上がり、また、どのようにして形を失うのか?」が、簡単に理解できるものと思われるのである。

つまり、現在の「自然科学」が、すでに証明したように、「物質」は、「個人のイメージ」ではなく、「間違いなく、世界に存在するものである」という理解の方が正しいものと考えている。ただし、「なぜ、唯識論が、観念論の堂々巡りに遭遇したのか?」を考えると、実際には、現在の「経済学」と同様に、「2019年の1月」における「現在だけの世界情勢」を考えているものと想定されるのである。

別の言葉では、「四次元の具体論」で考えると、「現在の世界情勢は、どのようにして形成されたのか?」が簡単に理解できるものと思われるが、実際には、「世界の一部だけを論じた意見」や「過去の推移を無視した意見」などが横行し、「何が何だか、訳が分からない状況」となっているのである。そして、予期しないような「大事件」に遭遇した時に、初めて「人々の意識」が覚醒し「実情に気付かざるを得ない状況」が想定されるのである。

つまり、このことが、歴史が教える事実であり、今回も、間もなく、同様の事態になるものと考えているが、今回の救いは、「唯識論」の発展により「心の謎」が解明される可能性とも言えるようだ。また、その前提条件となるのは、「お金の謎」が解明され、「経済学」を始めとした「社会科学」が、今後、飛躍的な発展を見せることだが、実際には、過去数百年間で目覚ましい発展を遂げた「自然科学」が、「社会科学」の分野に波及することである。換言すると、「技術」を使いこなす人々の意識や道徳心が未成熟な状態にあり、そのことが、現在、さまざまな問題を引き起こしている状況に気付くことである。