本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.1.12
理性の誕生と預言者の出現
「人類の発展史」を考えると、最初に、「お金」や「文字」が発明されたことにより、「食料の分配」が円滑に行われ、かつ、「先人の智慧」を活用することが可能となったものと想定される。つまり、この時から、人類は、獣と一線を画すこととなったものと思われるが、この点については、より深い理解が必要なようにも感じており、実際には、「聖書の創世記」で書かれているように、「神が、この世を創った」という認識である。
別の言葉では、「始めに言葉があり、光あれという言葉によって、この世が創造された」というものであり、このことから導かれる結論は、「人間は神の子である」ということでもあるようだ。そして、この点は、「芹沢光治良先生」の「神シリーズ」で述べられていることとも一致しているために、「唯物論」に慣れ切った現代人にとっては、たいへん理解しがたいことではあるが、このことを、前提条件として、話を進めていきたいと考えている。
つまり、「人類」と「獣」との違いを考えると、「理性の誕生」が指摘できるようだが、実際には、「本能の赴くままに、自分の種を守ろうとする獣」と「神の化身であり、精神性を向上させて、神に近付こうと努力する人類」とを区別するものである。別の言葉では、「原罪」や「業」と呼ばれるものの正体であり、実際には、「理性の誕生」が、人間の「悩み」や「苦しみ」を生み出したものと考えている。
具体的には、「人間は、他者を犠牲にしても生きるべきなのか?」というような疑問を持ち始めたものと思われるが、この時に使わされたのが、いわゆる「預言者」と呼ばれる人々でもあったようだ。つまり、前述の「神シリーズ」では、「人類が誕生して以来、10人の預言者が使わされた」と述べられているが、実際には、「釈迦」や「キリスト」などの存在であり、この時の注目点は、「預言者とは、神の言葉を預かるものであり、真実しか述べられていない」という事実である。
別の言葉では、「人類の精神的な未熟度が低かったために、当時の人々にとって、真理を理解することが、きわめて難しかったのではないか?」ということである。その結果として、その後、数多くの「聖人」が誕生したようだが、実際には、「孔子」や「孟子」などは「預言者」ではなく、彼らの言葉には、「人智」が混ざっている可能性も存在するのである。つまり、「天や神の意志」が正確に読み取られていない恐れがあるものと思われるが、今後は、「社会科学」と「自然科学」の融合、すなわち、「AI(人工知能)の活用」などにより、この分野の解明が、急速に進展するものと考えている。