本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.1.17
光と色
約2500年前に「仏教」が誕生し、「色」という概念が紹介されたが、このことは、約2000年前に誕生した「キリスト教」が教える「光」と同様の意味を持っているものと考えている。つまり、どちらも、「現実の世界」、そして、「光には、虹のとおりに、さまざまな色が存在する状況」を表しているようだが、この時に、仏教では、「受、想、行、識」という「人間の精神活動」も紹介されているのである。
別の言葉では、「四苦八苦」という「人間の悩みや苦しみ」などは、「全てが、現実世界を、どのように受け止めるのかによる」ということに原因があるようだが、実際には、「想」という「事実を受け取った時の想い」が、ある一定の「理解」を生み出すようにも思われるのである。つまり、経済学における「仮説」のようなものであり、実際には、「景気が好くなれば、金利が上昇する」というような認識のことである。
そして、その後の展開としては、「自分の仮説を実行する」という「行為」に繋がるわけだが、この時に意味を持つのが、「安岡正篤先生」が教える「知識、見識、胆識」であり、このことは、「どれだけ、実際のことを認識しているのか?」を、正確に分類したものだと考えている。つまり、「学得底」という「本などで学んだこと」が「知識」であり、この点については、「実践の荒波」に耐えていないために、さまざまな問題を引き起こす可能性があるようにも思われるのである。
また、「見識」については、「実践の荒波」には耐えたものの、まだ、本当の「真理」には辿り着いていない状況であり、より多くの実践を経た時に、「胆識」という、「全てが腑に落ちたような状態」にまで辿り着くことができるものと考えている。つまり、このことが、「体得底」と呼ばれるものであり、「この状態にまで辿り着いた時に、全ての悩みや苦しみが取り払われる」ということが、「般若心経」が教えることでもあるようだ。
ただし、この時の問題点は、「現在の世の中が、いろいろな分野に細かく分類されている状況」であり、その結果として、「エジソン」の言葉のとおりに、「人類は、1%の百万分の1程度しか、真理を知らない可能性」とも想定されるのである。つまり、現在、「人類は、10段階のうち、3程度のレベルに位置しているのではないか?」と考えているが、今後の注目点は、「コンピューター」と「人工知能」の進化により、「社会科学が飛躍的に発展する可能性」であり、この時には、「お金の謎」や「心の謎」などが解明され、過剰な「マネーの大膨張」や「バブル」なども、発生しなくなるものと考えている。