本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.2.25

煩悩の根本

「心の謎」を研究する時に、最も重要な点の一つは「煩悩の根本」を理解することだと思われるが、この点については、すでに、「仏教」で詳しく説明されており、実際には、「三毒」と呼ばれる「貪・瞋・癡(とん・しん・ち)」が指摘されている。つまり、このことが「人間の諸悪・苦しみの根源」とも言われているが、一方で、「なぜ、このことが、人々に悩みや苦しみをもたらすのか?」については、仏教の誕生後、約2500年もたった現在においても、原因が解明されていない状況のようにも感じている。

そのために、今回は、この点について考えてみたいと思うが、実際には、「貪欲(とんよく)」が「必要以上に貪り求める心」であり、また、「瞋恚(しんに)」が「怒りの心」、そして、「愚癡(ぐち)」が「真理に対する無知の状態」とも言えるようである。また、「西洋の時代」、すなわち、「唯物論を中心的な価値観とした社会」においては、「人間の欲望」を全開させることが「繁栄の道筋」と理解されたようだが、この結果として発生したことが、「欲しいもの、あるいは、求めたもの」が手に入らなかった結果としての「怒り」とも考えられるようである。

また、この点に関して、最も問題視されているのが、最後の「愚痴」であり、このことは、「無明」という「天地自然の理が理解できない状況」を表しているものと考えている。具体的には、「地位や名誉、そして、財産」などのように、「あの世に持っていくことができないもの」を大切にして、「精神的なレベルの向上」という「人生で最も大切なもの」を忘れる状況が、現在の「無明」を代表している可能性のことである。

そして、このことに関しては、現在の「ゴーン被告」が、最も典型的な例のようにも思われるが、この点については、名前のとおりに、「人間の煩悩」を追い払う「除夜の鐘」が「108日間」も鳴ったような状況でもあったようだ。つまり、現在は、「西洋の唯物論」を中心的な価値観とした時代が終焉し、今後は、「東洋の唯心論」が見直される時代が始まるものと考えているが、前述のとおりに、この時に、最も必要とされることが「心の謎」を解明することだと思われるのである。

別の言葉では、「ニュートン」が「重力の法則」を解明した結果、「自然科学」が飛躍的な発展を遂げたわけだが、今後は、「心の謎」が解明されることにより、「人間の行動」を説明する「社会科学」が、急速に発展する状況を想定しており、実際には、現代人が抱える「心の闇」が消え去る状況のことである。