本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.2.22
1970年代のスタグフレーション
先日、92歳になられた「グリーンスパン氏」のコメントが、ブルムバーグ紙に掲載されていたが、具体的には、「膨張を続ける国家債務に憂慮しているものの、1970年代のスタグフレーションから判断すると、インフレが始まるまでに、まだ時間的な猶予が存在する」というような内容だった。つまり、「1970年代」に、「スタグネーション(景気の低迷)」と「インフレーション(物価の上昇)」が同時に発生し、多くの経済学者が頭を悩ましたが、その理由としては、「景気が悪化しているときに、物価の上昇が起こるはずがない」ということが、それまでの常識だったからである。
その結果として、「スタグフレーション」という「新語」が創られたという状況であり、私自身も、今までは、この点に対して、まったく疑いを抱いていなかった。しかし、今回の記事を読み、また、今までの推移を熟慮すると、「1970年代に発生した経済現象は、本当のスタグネーションでもなく、また、本当のインフレーションでもなかった」という「思い」が、突如として、閃いたのである。
つまり、第二次世界大戦後の「世界的な高度経済成長」が終焉し、また、「1971年」に、「ニクソンショック」という「人類史上初めての通貨革命」が実施され、「景気の低迷」と「一次産品価格の急騰」が発生したことが、いわゆる「スタグフレーション」と呼ばれる現象の正体だったようにも感じられるのである。しかも、「1970年代の実情」を、より詳しく検証すると、「現在と比べて、実体経済とマネー経済の規模は、きわめて小さなものにすぎなかった」、また、「国家債務については、現在と比較にならないほどの健全な状況だった」という事実も理解できるのである。
そのために、本当の意味での「インフレ」、すなわち、「通貨価値の下落」は、まったく憂慮する必要性が存在しなかったものと思われるが、問題は、やはり、「経済学の未熟さ」により、「インフレやデフレの正体が、ほとんど理解されていなかった」という事実が指摘できるようである。
そのために、現在、必要なことは、「スタグフレーション」を憂慮するのではなく、通常の「インフレーション」、すなわち、「1991年のソ連」のように、「危機的な国家財政が国債価格の暴落を引き起こし、その結果として、国家や通貨の信頼感が激減する状況」を危惧することだと考えている。そして、この観点からは、「グリースパン氏の意見とは違い、時間的な余裕が、ほとんどなくなった状況」とも思われるのである。