本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.3.19

ストレス発生のメカニズム

私自身の「心に関する仮説」を使うと「ストレスが、どのようにして発生するのか?」が説明可能なようだが、実際には、「心が対象物に執着した時に、ストレスが発生する可能性」である。つまり、健全な「心」は、「ころころ」が語源であるように、常に、「いろいろな対象に向かって、動き続けている状態」でもあるが、一方で、「四書五経の一つである大学」で述べられているように、「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」というような状態の時に「ストレス」が発生するものと思われるのである。

別の言葉では、「特定の対象」に囚われ、「憎しみ」や「苦しみ」などの「感情」が生まれ、その結果として、「理性」に対して「心」が向かわなくなった状態のことである。つまり、「執着」という言葉のとおりに、「ある特定の人物や現象」に対して、「常に、心が向かい続けている状態」のことだが、この時には、「魂から心へ発せられる光や熱」が失われるようにも思われるのである。

その結果として、「心の闇」が発生し、「精神」のみならず、「肉体」までもが変調をきたす可能性があるものと思われるが、この時に重要な役割を果たすのが、「目配り」や「気配り」だと考えている。つまり、「目に見えるもの」にたいして「視線」を向けながら、「目に見えない心」で「他人を思いやる状況」のことだが、実際には、「電車に乗った時に、周りを見渡しながら、困った人がいないだろうか?」と考えるような状況のことである。

別の言葉では、「心の訓練」であり、「常に、心を動かす方法」だと考えているが、この結果として発生することは、「自分のことよりも、他人を思いやる行動」であり、また、「争いや諍(いさか)いのない社会」だと考えている。つまり、現代人が求めたものは、「物質的な豊かさ」であり、実際には、「心が、お金や地位、そして、名誉などを求め続けた状態」でもあったようだが、その結果として発生したのが、「過剰な執着心」と「心の闇」だったようにも感じられるのである。

そのために、今後、必要とされることは、「精神的な豊かさ」であり、実際には、「心が他人に向かう状況」により「精神的な満足感」が得られる可能性である。具体的には、「スーパーボランティア」と呼ばれた「尾畠春夫氏」のように、「自分自身のことを考えず、常に、困った人に対して、目配りや気配りをする状況」のことだが、このような状態になると、「精神的なストレス」が消滅するとともに、「残るのは、喜びだけではないか?」とも感じられるのである。