本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.4.30

ラクダとライオンと幼子

19世紀の哲学者である「ニーチェ」に、「三段階の精神」という考え方が存在するそうだ。具体的には、「ラクダ」から「ライオン」、そして、「幼子」という順番で、人間の成長や進化が発生するという理解のことだが、実際には、「重荷を背負うラクダ」が、その後、「既存の認識に噛みつくライオン」に変化し、また、その後、「素直な心を持つ幼子」へ、更なる変化をする状況のことである。

そして、この点について、私自身は、東洋の「守破離」という考えが当てはまるようにも感じている。具体的には、最初に、「守」という「基本の学び」の後に、「破」という「不十分な面に気付く状況」が想定され、その後に、初めて、「離」という「自分に固有の理論」などが産み出される状況のことである。また、この点については、「人類の進化」も、同様のパターンとなっているものと思われるが、実際には、「自然科学」と「社会科学」との関係性において、最初に、「自然科学の発展」が発生し、その結果として、「実体経済の成長」に繋がった状況のことである。

つまり、「自然科学」は、基本的に、「天地自然の理」を追求する学問であり、実際には、「大自然」という、「既に存在し、また、人間が創り出したものではない対象」を研究する学問を意味している。そして、この点については、最近、問題となった「STAP細胞」のように、「嘘や誤魔化しが通用しない世界」ともいえるようだが、一方で、「社会科学」については、現在の「経済学」、あるいは、「マネー理論」のように、「人間の意識や行動、あるいは、感情や絆」などを研究する学問のために、実際には、「正確性を実証する基準が存在しない状況」とも思われるのである。

別の言葉では、多くの経済学者、あるいは、エコノミストは、「自分の理論が正しいか否か?」について、ほとんど検証をせず、単に、「過去の状況」を説明しているだけの状況とも思われるのである。その結果として、現在では、「人類の欲望」が産み出した「マネー経済」が、「実体経済」を、はるかに上回る規模にまで膨れ上がり、その結果として、「地球環境の破壊」というような事態にまで進展しているのである。

つまり、将来の人類が見ると、「自分の住んでいる星を破壊してまでも、お金儲けに邁進した人々」と言われる可能性も存在するわけだが、この間の推移を考えると、実際には、「自然科学」の発展が、その後、「社会科学の発展」を促しており、このことも、最も重要な「心の謎」が解明されるために必要だった展開のようにも感じている。